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2013年2月5日火曜日

久しぶりの京都へ①〜「新島旧邸」見学*

先日、久しぶりに京都へ遊びに行ってきました。
この日は「新島旧邸」の見学も楽しみに、河原町今出川から丸太町
岡崎や祇園の美術館とその辺りの行きたかったカフェにも立ち寄ってと
半日余りでしたが京都ツアーを存分に楽しんできたのでした。

NHKの大河ドラマ「八重の桜」が始まって、八重の生涯に興味を持ってみると、確かに「ハンサムウーマン」な生き方がカッコ良くて惚れ惚れしてしまいます。(ここでの「 ハンサムウーマン」とは美しい行いをする人という意味)

高校入学早々に、新入生に義務づけられていた新島襄先生のお墓参り。
この行事は国公立出身者にとって、いきなりのカルチャーショックでしたが、のんびり大らかで自由な校風のもと、それほど愛校心のある生徒ではないなりにも、新島先生の同志社建学のスピリットは、どこかで自分に影響を与えているようにも思っています。
そして同志社人にとっては、新島襄先生夫妻がクローズアップされるこの一年は、大変楽しみな一年でもあり、私のように、にわかに愛校心に燃える卒業生も大いにありのことでしょうね。

さて、「新島旧邸」の見学についてですが。
まずはインターネットで申込みをします。こちら→
ネットで事前申込みなんて面倒と思いがちですが、当日の朝でも大丈夫でしたし、時間もその枠内に行けばいいので、それほど大変なことではないように思いました。

以下、新島旧邸内の様子です。
応接間↑や食堂↓には当時の椅子やテーブルがそのまま置かれて。
応接間にある暖炉には、それについた煙突の余熱で一階二階の部屋を暖めるというセントラルヒーティングの役割が。


お茶室。襄の死後に八重は裏千家家元から直接茶道を習い、社会活動では茶道家としても活躍しています。
土間形式の台所ではなく、床板の上に流しを置き、井戸も室内にある↑など、当時としては珍しい、とても女性に優しい設計の台所。ワッフルメーカーなどもあって、食生活も洋風だったようです。
壁一面に書棚があって、8割が洋書だったという書斎↑
同志社の学生は図書室のように自由に利用していたといわれています。
和に洋を取り入れた板張りの腰掛け式トイレ↑
当時の日本では斬新ですよね。こちらはお風呂 ↓
ここに住む人が暮らしやすいような創意工夫に溢れていて愛情のこもった建築の「新島旧邸」。見学に行って、新島先生夫妻の暮らしぶりの一端に触れることができ、益々ファンになってしまいました。

「新島旧邸」についての詳細はこちら→を参照して下さい。

この日は他に、細見美術館で「琳派と若冲」、何必美術館で「木村伊兵衛展」なども鑑賞。その前後に立ち寄ったカフェや雑貨のお店はこの後に続きます。

おまけの画像>>
久しぶりに構内を歩きましたよ。懐かしかった!