10月8日 東大寺東塔院跡の現地説明会
ちょうど3連休の始まりの日で、私は、説明会の時間に合わせることができずに、現場の見学だけに出かけました。
奈良倶楽部からは大湯屋の階段を上って鐘楼経由「鹿鳴園」の横を降りて、二月堂表参道から東塔跡へというコースで歩いて行きました。
上の写真↑はその道中から撮ったもの。
東塔院跡発掘調査は、昨年に続いて今年度2度目になります。
昨年の現地説明会に行けなかったので、東塔跡発掘現場を見るのが初めての私は、いつもの東塔跡の基壇の土の中の様子を見た途端に一気に妄想が膨らみ始めて楽しかったこと!
さて、現地説明会の様子は、かぎろひさんのブログを参照していただくとして・・・こちら★
ぶらっと立ち寄った私は、あまり専門知識を持ち合わせていなくても、発掘現場で妄想を膨らませてこうして楽しめばいいんだなと満足しておりました。
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説明会の内容は読売新聞の記事より抜粋して以下に貼っておきます。
奈良時代に創建された基壇(土台)が約24m四方だったことなどが発掘調査でわかった東大寺の東塔跡。
最初の東塔は1180年、平氏の「南都焼き打ち」で焼け、鎌倉時代に基壇を約27m四方に広げて再建されたが、再び焼失。今回の発掘では、創建時の基壇の外装や階段に使われた石材の一部が黒く焼け、斜めに倒れた状態で出土した。
説明会で発掘担当者は、石材を示しながら「塔が激しく燃え、崩れ落ちた様子がうかがえる」と説明。参加者からは「他に焼けた跡はあるのか」「どのようにして倒れたのか」といった質問が相次いだ。
基壇の四方に設けられた階段の幅が、創建時(約9・2m)と鎌倉期の再建時(約6m)で異なることも判明。階段幅は塔を支える柱の位置と関係するため、担当者は「創建時の塔は1辺に柱が6本ある『五間』構造だったが、再建時は『三間』に変わった可能性が高い」と解説。
発掘調査では、鎌倉期の再建で作られた、塔の周囲を巡らす回廊の南門基壇の跡も出土し、南北幅が約14mだったことを確認した。
塔に回廊を設けるのは珍しく、鈴木嘉吉・元奈良文化財研究所長は「塔を立派に見せるため、回廊や門を設けたのだろう。東大寺が有数の大寺院だった証しだ。回廊の南門は、基壇の特徴などから、楼門のような構造だったのでは」と話す。
2016年10月10日月曜日
2016年10月7日金曜日
手向山八幡宮祭礼「転害会」
10月5日
ご町内の氏神様でもある手向山八幡宮の祭礼「転害会」の日。
「転害会」に合わせて、東大寺では勧進所の「八幡殿」と「公慶堂」にて「僧形八幡神坐像」と「公慶上人坐 像」の特別開扉が行われます。
また奈良倶楽部ご近所の五劫院でも、この日に合わせて「五劫思惟阿弥陀如来像」が特別公開されますので、まずは五劫院さんへお参りの後、勧進所経由で手向山さんへ。
いつもは二月堂の方からお参りするので、久しぶりに参道の鳥居からのお参りは、神域に入らせていただいたという感じで、何ともいいものですね。
今年は、40年ぶりに御神輿(鎌倉時代 重文)が拝殿に飾られています。

さて、雨天中止が心配されましたが、小雨の中、転害門にて予定通り祭典が執り行われ、舞楽「蘭陵王」も奉納されました。
国宝転害門と蘭陵王!
普段見慣れた門の中での舞楽奉納に大感激のひとときでした。
::
話が逸れますが・・・
手向山八幡宮参道より「東大寺東塔院跡発掘現場」をパチリ☆
明日10/8 10:00~15:00の間、こちらで発掘現場説明会が開催されます。
事前申込み不要・入場無料です。
ご町内の氏神様でもある手向山八幡宮の祭礼「転害会」の日。
「転害会」に合わせて、東大寺では勧進所の「八幡殿」と「公慶堂」にて「僧形八幡神坐像」と「公慶上人坐 像」の特別開扉が行われます。
また奈良倶楽部ご近所の五劫院でも、この日に合わせて「五劫思惟阿弥陀如来像」が特別公開されますので、まずは五劫院さんへお参りの後、勧進所経由で手向山さんへ。
いつもは二月堂の方からお参りするので、久しぶりに参道の鳥居からのお参りは、神域に入らせていただいたという感じで、何ともいいものですね。
今年は、40年ぶりに御神輿(鎌倉時代 重文)が拝殿に飾られています。

さて、雨天中止が心配されましたが、小雨の中、転害門にて予定通り祭典が執り行われ、舞楽「蘭陵王」も奉納されました。
国宝転害門と蘭陵王!
普段見慣れた門の中での舞楽奉納に大感激のひとときでした。
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話が逸れますが・・・
手向山八幡宮参道より「東大寺東塔院跡発掘現場」をパチリ☆
明日10/8 10:00~15:00の間、こちらで発掘現場説明会が開催されます。
事前申込み不要・入場無料です。
2015年11月20日金曜日
東大寺・東塔跡の現地説明会*
東大寺・東塔跡の現地説明会が
11/21(土)10:00~15:00に開催されます。
申込み不要で時間内であれば どなたでも見学できます。

(写真は「朝日新聞奈良総局ツイッター」より拝借)
以下は「毎日新聞」より抜粋。
東大寺・東塔跡を発掘していた調査団が、国内最大級となる約27m四方の塔基壇跡を確認したと発表。
伽藍が再建された鎌倉時代の基壇で、創建時の奈良時代より拡張した上、より堅牢な「大仏様だいぶつよう」という新様式に設計変更したとみられる。
東塔は高さ70~100mの巨大な七重塔だったと伝わる。
調査団は「巨大な塔の存在を裏付け、建築技術の革新も示す重要遺構だ」としている。
調査団は東大寺、奈良文化財研究所、奈良県立橿原考古学研究所で構成。7月からの発掘で、基壇の北東部分が見つかった。
心柱を支えた基礎(心礎)と柱穴9個を確認し、基壇全体は高さ1.7m以上で27m四方、建物は17m四方。北側と東側に階段跡、周囲に玉石敷きが残っていた。全体の柱穴は4列。柱と柱の間隔は中央6m、両端5.4mで、鎌倉期再建の南大門と一致した。
今回の調査では、奈良時代の創建時の階段跡なども発見され、調査団は基壇が24m四方、柱は6列と推測。
鎌倉期の再建で柱の数を減らす一方、柱をつなぐ部材で強度を高める「大仏様」を採用した可能性が判明した。調査団長の鈴木嘉吉・元奈良文化財研究所長(日本建築史)は「大仏様を導入した日本に例のない仏塔の可能性が強い。鎌倉期の建築技法の革新が分かる」と強調した。
東塔は764年頃に西塔と併せて建設されたが、1181年に平氏の南都焼き打ちで大仏殿や南大門などと共に焼失。大勧進職・重源上人が再建に着手し、臨済宗の開祖・栄西らの手を経て1238年ごろに東塔のみが再建された。1362年に落雷で再び焼けた。
今日、明日にご宿泊のお客さまで、東大寺境内を散策される方は
是非こちらの説明会へも足をお運び下さいませ。
11/21(土)10:00~15:00に開催されます。
申込み不要で時間内であれば どなたでも見学できます。

(写真は「朝日新聞奈良総局ツイッター」より拝借)
以下は「毎日新聞」より抜粋。
東大寺・東塔跡を発掘していた調査団が、国内最大級となる約27m四方の塔基壇跡を確認したと発表。
伽藍が再建された鎌倉時代の基壇で、創建時の奈良時代より拡張した上、より堅牢な「大仏様だいぶつよう」という新様式に設計変更したとみられる。
東塔は高さ70~100mの巨大な七重塔だったと伝わる。
調査団は「巨大な塔の存在を裏付け、建築技術の革新も示す重要遺構だ」としている。
調査団は東大寺、奈良文化財研究所、奈良県立橿原考古学研究所で構成。7月からの発掘で、基壇の北東部分が見つかった。
心柱を支えた基礎(心礎)と柱穴9個を確認し、基壇全体は高さ1.7m以上で27m四方、建物は17m四方。北側と東側に階段跡、周囲に玉石敷きが残っていた。全体の柱穴は4列。柱と柱の間隔は中央6m、両端5.4mで、鎌倉期再建の南大門と一致した。
今回の調査では、奈良時代の創建時の階段跡なども発見され、調査団は基壇が24m四方、柱は6列と推測。
鎌倉期の再建で柱の数を減らす一方、柱をつなぐ部材で強度を高める「大仏様」を採用した可能性が判明した。調査団長の鈴木嘉吉・元奈良文化財研究所長(日本建築史)は「大仏様を導入した日本に例のない仏塔の可能性が強い。鎌倉期の建築技法の革新が分かる」と強調した。
東塔は764年頃に西塔と併せて建設されたが、1181年に平氏の南都焼き打ちで大仏殿や南大門などと共に焼失。大勧進職・重源上人が再建に着手し、臨済宗の開祖・栄西らの手を経て1238年ごろに東塔のみが再建された。1362年に落雷で再び焼けた。
今日、明日にご宿泊のお客さまで、東大寺境内を散策される方は
是非こちらの説明会へも足をお運び下さいませ。
2011年12月11日日曜日
大仏殿北側の発掘現場見学会*
現在発掘調査中の大仏殿北方地区で見つかった
僧房の遺構についての現地説明会が12/8に行なわれました。

午前と午後の2回に行なわれた説明会を聞くことはできなかったのですが、現場公開時間ぎりぎりに伺うことができ、貴重な発掘現場を見ることができました。
この発掘は、東大寺の下水道工事に先立って行われている調査で
場所は大仏殿北側の道路(二月堂に行く道)に沿った北側です。

東大寺の金堂である大仏殿の北側のこの辺りには、講堂を中心に
それを囲むように東、西、北側に「三面僧房」といわれる
僧侶達が暮らす僧房がありました。


講堂跡は今も礎石が地表に露出しているので大きさがわかりますが
僧侶が暮らした僧房の跡は、今は全く見ることができません。
今回の発掘調査では、この僧房のうち東室と呼ばれる東僧房の南端を
初めて確認することができたのだそうです。
また、今回発掘されたのは、東大寺創建当時の僧房ではなく、その後再建され、再び室町時代の1508年に講堂とともに焼けた僧房とみられています。
この時期の焼土層が残っていたそうで、他にも大仏鋳造に関わる遺物、木簡なども出土しています。(三好三人衆と松永久秀との間の東大寺大仏殿の戦いは1567年)

↑焼けた柱でしょうか。炭化部材も確認できます。
::
発掘された瓦や木簡、檜扇の遺物も展示されていました。







::
ところで、地表に出ている講堂跡の礎石と
今回発掘された僧房の礎石では、かなりの高低差が見られます。

高低差があるように見える↑↓礎石ですが
実は同じ高さに存在しているものなのだそうです。

こちらの方が随分地面が盛り上がっているのですね。
::
今まで1300年前の天平文化が花開いた頃の奈良にばかり興味を持っていましたが、つい4~5日前に聴講した「多聞城」の講座や、今回の発掘現場の見学を通して、1300年前から一気に現代の奈良へ時間が経過したのではなく、歴史の時間・空間などが堆積して、今 現在があるのだという当たり前のことに思いを巡らすことができました。出土品や遺構を見学することはとても貴重なことなのだとあらためて思ったのでした。
僧房の遺構についての現地説明会が12/8に行なわれました。

午前と午後の2回に行なわれた説明会を聞くことはできなかったのですが、現場公開時間ぎりぎりに伺うことができ、貴重な発掘現場を見ることができました。
この発掘は、東大寺の下水道工事に先立って行われている調査で
場所は大仏殿北側の道路(二月堂に行く道)に沿った北側です。

東大寺の金堂である大仏殿の北側のこの辺りには、講堂を中心に
それを囲むように東、西、北側に「三面僧房」といわれる
僧侶達が暮らす僧房がありました。


講堂跡は今も礎石が地表に露出しているので大きさがわかりますが
僧侶が暮らした僧房の跡は、今は全く見ることができません。
今回の発掘調査では、この僧房のうち東室と呼ばれる東僧房の南端を
初めて確認することができたのだそうです。
また、今回発掘されたのは、東大寺創建当時の僧房ではなく、その後再建され、再び室町時代の1508年に講堂とともに焼けた僧房とみられています。
この時期の焼土層が残っていたそうで、他にも大仏鋳造に関わる遺物、木簡なども出土しています。(三好三人衆と松永久秀との間の東大寺大仏殿の戦いは1567年)

↑焼けた柱でしょうか。炭化部材も確認できます。
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発掘された瓦や木簡、檜扇の遺物も展示されていました。







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ところで、地表に出ている講堂跡の礎石と
今回発掘された僧房の礎石では、かなりの高低差が見られます。

高低差があるように見える↑↓礎石ですが
実は同じ高さに存在しているものなのだそうです。

こちらの方が随分地面が盛り上がっているのですね。
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今まで1300年前の天平文化が花開いた頃の奈良にばかり興味を持っていましたが、つい4~5日前に聴講した「多聞城」の講座や、今回の発掘現場の見学を通して、1300年前から一気に現代の奈良へ時間が経過したのではなく、歴史の時間・空間などが堆積して、今 現在があるのだという当たり前のことに思いを巡らすことができました。出土品や遺構を見学することはとても貴重なことなのだとあらためて思ったのでした。
2010年12月20日月曜日
土の下のロマン*
今年の奈良を振り返ってみると・・・
歴史上の発見・発掘がとても多かったような気がします。
中でも記憶に残っているものを幾つか、ピックアップしてみました。
◆桜井茶臼山古墳から国内最多の銅鏡片出土
◆御所市秋津遺跡で囲形埴輪の原型出土
◆中宮寺で心柱建立の櫓跡出土
◆橿原市観音寺本馬遺跡で縄文時代晩期の樹木の根株出土
◆大和郡山市の筒井城跡で信長の「破城」跡が見つかる ★
◆明日香村の甘樫丘東麓遺跡で蘇我邸の城柵が見つかる
◆西大寺旧境内で渡来人の名前を記した須恵器が見つかる
◆平城宮跡で礎石建物跡と築地塀跡出土
◆明日香村の飛鳥京跡最大級の建物跡発見
◆桜井市の脇本遺跡で飛鳥時代の大型建物跡出土
◆興福寺南大門跡から出土の鎮壇具に魚の骨が見つかる
◆平城宮跡の便槽遺構から寄生虫の卵の遺物が見つかる
◆御所市の中西遺跡で弥生時代前期の埋没林と水田跡が出土 ★
◆元興寺の禅室に最古の現役木造建材が見つかる
◆明日香村の牽牛子塚古墳が八角形墳と判明。斉明天皇陵か?★
◆牽牛子塚古墳前に別の古墳。大田皇女の墓か?★
◆桜井市の纏向遺跡で桃の種2000個出土★
◆東大寺大仏の足元から幻の宝刀
◆御所市の秋津遺跡で大型建物群が見つかる
◆春日大社東塔跡「雨落溝」とみられる遺構の一部が見つかる★
(◆印は新聞記事をリンク、★印はかぎろひさんのブログ記事をリンクさせていただきました。)
ざっと数えても20件。本当にすごい!という印象の一年でした。
でも、私なんかは「ふわ〜。すごいな〜」と感心しているだけですが
こういう風に、きちんと出土するまでには、どれほどの地道な発掘作業や調査などの時間が費やされ継続されていることか。出土した遺物の保存や整理や研究など 、文化財と関わることはロマンもあるのでしょうが苦労も大変なことでしょうね。
こういう世界を詳しく知らないながらも、ちょこっと想像して
ちょこっと興味を持ってみたりしました。
トップの画像は奈良国立博物館敷地内の「春日大社東塔跡」発掘現場。
奈良文化財研究所のホームページはこちら。
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