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2019年2月4日月曜日

東大寺友の会講座「東大寺の声明」

2月2日。
長く「東大寺友の会」に入会していながら、友の会の講座に出るのは初めてだと思います。でも今回は修二会を前にして、上司永照師の「東大寺の声明」と題した講座ですから、何を置いても参加しようと楽しみにしていました。
出かける前に「月刊大和路ならら2月号」の修二会特集号が届きました。表紙が上司永照師!
そして、中には岡本先生の「神さまと言霊」という関連記事もあり。
ちなみに、岡本先生が示して下さった内容は大変参考になることばかりで勉強になりましたので、是非「ならら」のこの記事を読まれることをお奨めします。
また、奈良の地元ラジオ「ならどっとFM」の「岡本彰夫の奈良、奥の奥」2/4(月)15:00~と2/8(金)20:00~放送分では、上司永照師がゲストで出演されています。(インターネット配信はこちら / 番組終了後の過去の音源はこちら
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話が脱線しましたが・・・
上司師の講座の中にも岡本先生との対談のことが出てきまして。
それは、神職の岡本先生も僧侶の上司師も「祝詞やお経は神様や仏様に聞いてもらうだけでなく、来られる人にもわかるように聞いてもらう。そうでなくては神様仏様には届かないのではないだろうかと思っている」という同じ考えを持っていたというお話です。
そういうところから、法会でどういうことを祈っているかをわかってもらうために、ここ最近は「東大寺の声明」「修二会の声明」と題した講座の機会を持つようになりましたと、上司師のお話が始まりました。

昨年は2回、上司師による声明のお話を伺う機会がありました。
(ブログ内記事はこちら→ 
今回の講座でも、まず最初に一座を静粛にする役割を持つ「唄ばい」を朗々と唱して始まり、修二会での「唄」との違いを少し説明されました。→ 修二会ではすでに場を静粛にしているので、普段の寺役のようにその場を「唄」によって鎮めなくてよく、「さぁやりますよ」という感じで、「唄」の前に「すでに場を静粛にしている」ことの一つに、四職が入堂する時に南座で平衆による観音経読経について教えていただきました。
初夜上堂松明が上がって練行衆が上堂される場面を、実は拝見したことがなく、一つ一つの所作に込められた意味なども初めて知ることばかりで、ぐーっと惹きこまれる内容でした。
おそらく本を読んでいただけでは想像できないような場面を、ジェスチャーも詳しくその場面を再現して説明してくださるのです。例えば、入堂作法が平衆と四職では違うことの所作や、南北問合せの場面で上司師は南座と北座で場所を替え、大導師になったり咒師になったり。
ユーモアと、伝えたいという真剣な気持ちを交えての講座は素晴らしいものでした。

さて、四職内陣出仕作法の間、読経される法華音曲の中の観音経については詳しく触れられ、読経もして下さいました。
この観音経はあくまで脇役で主役は四職入堂。佐藤道子先生の著書にも、観音経読経で場が荘厳されることが美しい文章で綴られていると、その一部を読んでくださいました。→・・・法華経から抜粋した唱句を美しい旋律で唱誦する。明るいともし火と、香のかおりと快い音楽。法要を始めるための道場の荘厳は、これですべて整うことになる。

読経のあとの南北問合せ、如来唄、散華、そして大導師の大咒願。
法要の趣旨を述べ、その成就を祈願するという大咒願は、レジュメに和訳もあって、どういうことを祈っているかを理解する一つとなり有難いことです。

最後にもう一つ、神名帳を詠みあげて下さいました。
神名帳を聞いて神様が来られる、神様に来ていただいて大咒願で祈り願う。ルールを変えずにわからないけれどやっている、やっているとわかってくる。そして、毎回の講座でお話されていることですが、修二会は何のためにするのか?修二会は「春を迎えるための行事」である。春を迎える=季節が順当に巡ること、すなわち風雨順時であること。修二会は春を迎えるためにする(祈る)のである。そのためには我々の営みに度が過ぎてはいけない、度が過ぎることを反省する等々。

今回も内容が濃くてどこまで理解できたかどうかわかりませんが、(また間違って理解しているところもあるかもしれませんが)自分メモとして、ここに綴っておきます。