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2016年10月10日月曜日

東大寺「東塔院跡」

10月8日 東大寺東塔院跡の現地説明会
ちょうど3連休の始まりの日で、私は、説明会の時間に合わせることができずに、現場の見学だけに出かけました。
奈良倶楽部からは大湯屋の階段を上って鐘楼経由「鹿鳴園」の横を降りて、二月堂表参道から東塔跡へというコースで歩いて行きました。
上の写真↑はその道中から撮ったもの。
東塔院跡発掘調査は、昨年に続いて今年度2度目になります。
昨年の現地説明会に行けなかったので、東塔跡発掘現場を見るのが初めての私は、いつもの東塔跡の基壇の土の中の様子を見た途端に一気に妄想が膨らみ始めて楽しかったこと!
さて、現地説明会の様子は、かぎろひさんのブログを参照していただくとして・・・こちら
ぶらっと立ち寄った私は、あまり専門知識を持ち合わせていなくても、発掘現場で妄想を膨らませてこうして楽しめばいいんだなと満足しておりました。











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説明会の内容は読売新聞の記事より抜粋して以下に貼っておきます。

奈良時代に創建された基壇(土台)が約24m四方だったことなどが発掘調査でわかった東大寺の東塔跡。
最初の東塔は1180年、平氏の「南都焼き打ち」で焼け、鎌倉時代に基壇を約27m四方に広げて再建されたが、再び焼失。今回の発掘では、創建時の基壇の外装や階段に使われた石材の一部が黒く焼け、斜めに倒れた状態で出土した。
説明会で発掘担当者は、石材を示しながら「塔が激しく燃え、崩れ落ちた様子がうかがえる」と説明。参加者からは「他に焼けた跡はあるのか」「どのようにして倒れたのか」といった質問が相次いだ。
基壇の四方に設けられた階段の幅が、創建時(約9・2m)と鎌倉期の再建時(約6m)で異なることも判明。階段幅は塔を支える柱の位置と関係するため、担当者は「創建時の塔は1辺に柱が6本ある『五間』構造だったが、再建時は『三間』に変わった可能性が高い」と解説。
発掘調査では、鎌倉期の再建で作られた、塔の周囲を巡らす回廊の南門基壇の跡も出土し、南北幅が約14mだったことを確認した。
塔に回廊を設けるのは珍しく、鈴木嘉吉・元奈良文化財研究所長は「塔を立派に見せるため、回廊や門を設けたのだろう。東大寺が有数の大寺院だった証しだ。回廊の南門は、基壇の特徴などから、楼門のような構造だったのでは」と話す。