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2015年11月20日金曜日

東大寺・東塔跡の現地説明会*

東大寺・東塔跡の現地説明会が
11/21(土)10:00~15:00に開催されます。
申込み不要で時間内であれば どなたでも見学できます。

(写真は「朝日新聞奈良総局ツイッター」より拝借)
以下は「毎日新聞」より抜粋。

東大寺・東塔跡を発掘していた調査団が、国内最大級となる約27m四方の塔基壇跡を確認したと発表。
伽藍が再建された鎌倉時代の基壇で、創建時の奈良時代より拡張した上、より堅牢な「大仏様だいぶつよう」という新様式に設計変更したとみられる。
東塔は高さ70~100mの巨大な七重塔だったと伝わる。
調査団は「巨大な塔の存在を裏付け、建築技術の革新も示す重要遺構だ」としている。

調査団は東大寺、奈良文化財研究所、奈良県立橿原考古学研究所で構成。7月からの発掘で、基壇の北東部分が見つかった。
心柱を支えた基礎(心礎)と柱穴9個を確認し、基壇全体は高さ1.7m以上で27m四方、建物は17m四方。北側と東側に階段跡、周囲に玉石敷きが残っていた。全体の柱穴は4列。柱と柱の間隔は中央6m、両端5.4mで、鎌倉期再建の南大門と一致した。

今回の調査では、奈良時代の創建時の階段跡なども発見され、調査団は基壇が24m四方、柱は6列と推測。
鎌倉期の再建で柱の数を減らす一方、柱をつなぐ部材で強度を高める「大仏様」を採用した可能性が判明した。調査団長の鈴木嘉吉・元奈良文化財研究所長(日本建築史)は「大仏様を導入した日本に例のない仏塔の可能性が強い。鎌倉期の建築技法の革新が分かる」と強調した。

東塔は764年頃に西塔と併せて建設されたが、1181年に平氏の南都焼き打ちで大仏殿や南大門などと共に焼失。大勧進職・重源上人が再建に着手し、臨済宗の開祖・栄西らの手を経て1238年ごろに東塔のみが再建された。1362年に落雷で再び焼けた。

今日、明日にご宿泊のお客さまで、東大寺境内を散策される方は
是非こちらの説明会へも足をお運び下さいませ。