現在発掘調査中の大仏殿北方地区で見つかった
僧房の遺構についての現地説明会が12/8に行なわれました。
午前と午後の2回に行なわれた説明会を聞くことはできなかったのですが、現場公開時間ぎりぎりに伺うことができ、貴重な発掘現場を見ることができました。
この発掘は、東大寺の下水道工事に先立って行われている調査で
場所は大仏殿北側の道路(二月堂に行く道)に沿った北側です。
東大寺の金堂である大仏殿の北側のこの辺りには、講堂を中心に
それを囲むように東、西、北側に「三面僧房」といわれる
僧侶達が暮らす僧房がありました。
講堂跡は今も礎石が地表に露出しているので大きさがわかりますが
僧侶が暮らした僧房の跡は、今は全く見ることができません。
今回の発掘調査では、この僧房のうち東室と呼ばれる東僧房の南端を
初めて確認することができたのだそうです。
また、今回発掘されたのは、東大寺創建当時の僧房ではなく、その後再建され、再び室町時代の1508年に講堂とともに焼けた僧房とみられています。
この時期の焼土層が残っていたそうで、他にも大仏鋳造に関わる遺物、木簡なども出土しています。(三好三人衆と松永久秀との間の東大寺大仏殿の戦いは1567年)
↑焼けた柱でしょうか。炭化部材も確認できます。
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発掘された瓦や木簡、檜扇の遺物も展示されていました。
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ところで、地表に出ている講堂跡の礎石と
今回発掘された僧房の礎石では、かなりの高低差が見られます。
高低差があるように見える↑↓礎石ですが
実は同じ高さに存在しているものなのだそうです。
こちらの方が随分地面が盛り上がっているのですね。
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今まで1300年前の天平文化が花開いた頃の奈良にばかり興味を持っていましたが、つい4~5日前に聴講した「多聞城」の講座や、今回の発掘現場の見学を通して、1300年前から一気に現代の奈良へ時間が経過したのではなく、歴史の時間・空間などが堆積して、今 現在があるのだという当たり前のことに思いを巡らすことができました。出土品や遺構を見学することはとても貴重なことなのだとあらためて思ったのでした。