ページ

2014年11月22日土曜日

「子福利餅」と「女夫饅頭」と「意傳坊」*

下御門商店街の写真ポスターを楽しませてもらった後は
本日の目的地の「樫舎かしやさんへ。
予約していたお菓子をいただきに伺いました。
「子福利餅こうごりもち」↑と「女夫饅頭めおとまんじゅう」↓
今年2月の大雪の日に春日大社の岡本権宮司さんのお話を拝聴する機会がありました。(その時のブログ記事はこちら
岡本さんは、一度消えた奈良の和菓子の復活に尽力されていて、古文書を調べて、その土地に伝わる「曰く因縁」のモノをカタチにしているとおっしゃってました。
具体的には、樫舎さんの協力を得て再現した「子福利餅」と「女夫饅頭」や、「菊水楼」さんで再現された「意傳坊いでんぼう」など。

2月にこの話を伺って、いつか買いに行こうと思ったまま、随分日にちが経ってしまいましたが、少し前に「菊水楼」さんで「意傳坊」も購入して、ようやく3種類の奈良の伝統菓子をいただくことができました。
「女夫饅頭」は長谷寺近くの「やまとびと」でも作って販売されていると、岡本さんよりお聞きしていましたので、こちらも取り寄せてみました。
断面を見てみると、餡が包まれた紅白の二種類の饅頭の中に、もう一つの餡が包まれているのがわかります。
「やまとびと」さんのブログより・・・「女夫饅頭めおとまんじゅう」は
かつてお伊勢参りの要路であり、長谷寺に参拝する人々でも賑わった初瀬街道の参道筋の桜井市黒崎という地域に伝えられていたもので、道行く人々が必ずお土産に持ち帰ったというお菓子」なのだそうです。
本居宣長も好んだという女夫饅頭ですが、長らく途絶えていたものを復元されて、またこの地での名物となるといいですね。
お味は「やまとびと」製も「樫舎」製も同じ美味しさで、酒蒸しされた饅頭の、お酒のほのかな味わいが特徴的でした。

もう一つの復元菓子「子福利餅こうごりもち」の方は、ウズラの卵大くらいの大きさ・形で、見た目もお味も非常に素朴な感じがしました。
こちらは「享和年間の歳時記に筆記されている大和の餅菓子の一つで、正月用の黄粉作りの余材、つまりふるいにかけた後の粗い大豆と、餅米・米粉を合わせて、男児の祝いの意を込めて作った伝統的な大和の餅菓子」だそうです。(奈良県のHPより)
樫舎さんのお菓子の説明「ひなびた風趣を賞でる大和特有の祝いの菓子でございます」とあるように、本当にひなびているなぁと思ったのですが、一つ二つと口に入れていくうちに、ほのかな甘みがとても美味しくて、実はかなり気に入ったのであります。(県外の方に、この美味しさが伝わるといいなぁと余計な心配もしていますが)

さて、復元菓子の最後は「菊水楼」の「意傳坊いでんぼう」。
春日大社の「春日若宮おん祭」に提供され、明治時代初めに姿を消した御用菓子で、「菊水楼」さんが約140年ぶりに復活させたものだそうです。祭りに奉仕する大和士が、お神酒を飲む際に食べた塩辛い菓子で、どちらかというと酒の肴のようなものでしょうか。

ネットで検索してみると・・・
江戸時代には名産品だったが、明治維新を機に途絶え、現在は名前が残るだけだった。春日大社前に店を構える菊水楼が約10年前に挑んだが完成半ばで断念。当時助手を務めた松浦菊美料理長が、明治初めの文書「春日社若宮祭図解」に書かれた絵図や材料をもとに再挑戦し、3カ月かけて作りあげた。
材料はもち米、ゴマ、アズキ、サンショウ、ケシ、味噌の6品目。形は「麦粒の如し」との記録から材料を練り合わせたものを手で一つ一つ小さく丸めて山盛りにし、結び昆布を添えた。
完成した意伝坊は、みその塩気にゴマの風味やアズキなどの甘み、ぴりりとしたサンショウがきいた奥深い味。松浦さんは「腹持ちがよく、栄養のある保存食。作業は大変だったが、歴史を感じた」と話す。
神事に絡むため実物は門外不出だが、春日大社が同じ材料を使った味噌「好み居伝坊」の販売を許可し、3月にも菊水楼で販売される予定だ。」(2013年1月の日本経済新聞の記事より)

どのお菓子も本当に素朴な味わいです。派手さのないお菓子ですが、そこにこそ奈良の奥深さを感じ、文献をあたって実際に復元されるまでの大変さや熱意などに想いを馳せたのでした。

 ◆「子福利餅」は前日までの要予約。(12個入・税込み1555円)
 「樫舎」 (0742-22-8899)さん以外では天理の「吉田二福堂」 (0743-62-2290)さんでも取り扱っているそうです。
◆「女夫饅頭」も前日までの要予約。
 「樫舎」 (0742-22-8899)と「やまとびとのこころ店」(0744-55-2221)でのみ販売。(6個入より販売/一個税込み410円)
◆「 好み意傳坊」は「菊水楼」でのみ販売。予約無しで店頭売りされていました。(一つ1200円ちょっとだったような?)