仕事の傍らに時間を作っては毎年少しずつ「春日若宮おん祭」を拝見しています。今年は「お旅所祭」の前半部分のみでしたが、このお祭の中に身を置くことができました。
お渡り式が終わる午後3時頃にお旅所入口に到着。
神饌、宮司の奉弊・祝詞奏上、日使の奉弊・祝詞奏上、お渡り式でお旅所に入って来られた方々の拝礼などが2時半頃から行なわれて、その後、御巫神楽が舞われます。
この神事の間は一般の人はお旅所にまだ入れませんので、入口付近から覗いて見たりしています。(私も人混みの間から一枚パチリ)
その後4時頃からお旅所の中に入れていただくことになります。
この時「おん祭保存会」に入会していると、御假殿前の舞台のすぐそばまで入れていただけます。
若宮さまへ奉納される芸能の各々を 御假殿のお側近くで時間の許すまで拝見させていただきました。以下に拙い写真ですが、春日大社サイトよりそれぞれの芸能について書かれた解説をコピーして最後に添えています。(青字で表しています)
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東遊あずまあそび
安閑天皇の御代、駿河国の有産浜に天女が降り、舞い遊んだという故事から起った東国の風俗舞といわれる。
青摺の袍に太刀を佩き、巻纓の冠をいただいた舞人四人(童児)が凛々しく「駿河舞」と「求子舞」の二曲を舞う。子どもが舞うのは他に例がなく、珍らしい。
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田楽でんがく
田楽の起源については、神に五穀豊穣を祈る楽であるとか、農民を慰労するために演じた所作であるとか、田舞から出たもの、又は散楽(奈良時代に中国から伝わった曲芸の類)から転じたものなど種々の説がある。春日田楽はおん祭が行われた当初から奉納されており、かつては田楽能もあり、名人もいた。世阿弥が12才のとき、おん祭前日に行われる装束賜りの能に田楽の喜阿弥が尉を演じるのをわざわざ見に行って感服したと「申楽談義」にのべている。
はじめは本・新座それぞれからの奉幣で、一が五色の大幣を各一束ずつ神前に献じる。次いで「中門口」の囃子を奏し、曲芸の「刀玉」「高足」となる。このあと「もどき開ロ、立合舞」という短い能を演じる。
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細男せいのお
神功皇后の故事にちなむもので、筑紫の浜で、ある老人が「細男を舞えば磯良と申す者が海中より出て干珠、満珠の玉を献上す」と言ったのでこれを舞わしめたところ、磯良が出てきたが顔に貝殻がついていたので覆面をしていたという物語りが伝わっており、八幡神系の芸能と考えられている。
白い浄衣を着けた六人の舞人が白い布を目の下に垂らし、うち二人が小鼓を胸から下げ、二人は素手でいる。あとの二人は笛の役である。小鼓を打ち、袖で顔を覆いながら進み、また退きして拝舞する素朴なものであるが、独得の雰囲気をかもし出す実に神秘的な舞である。わが国芸能史のうえでも他に遺例のない貴重なものである。
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神楽式かぐらしき
神楽式とは、翁を略式にしたものである。翁は新年や大事な演能会・神事の能のはじめには必ず行われて、天下泰平を祈願する儀式である。
常の翁はすべてがぎょうぎょうしいものであるが、この神楽式はシテの翁と三番目三が白の狩衣(浄衣)に白の大口をはき面はつけずに舞う。千歳は出ない。地謡や囃子方は裃を着、大鼓はなく小鼓は一丁になる。
後見が最初に正先へ鈴を出し、囃子方と地謡が座に着いてから、シテの翁と三番三がある。三番三は翁返りのあとすぐ鈴の段を舞う。
明治の初年、時の大夫金春広成が、金剛の大夫氏成と協議の上定められ、おん祭お旅所神前の特別な翁として現在に至っている。
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舞楽〜振鉾三節えんぶさんせつ
舞楽の始めに舞われる曲で国土安穏、雅音成就を祈る。まず鉾を持った赤袍の左方舞人、ついで緑袍の右方舞人がそれぞれ笛の乱声に合わせて舞い、最後に二人が鉾を振り合わせる。
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舞楽〜萬歳楽まんざいらく
隋の煬帝が楽正自明達に作らせたもので、鳳凰が萬歳と唱えるのを舞に表したものといわれている。慶賀の際には必ず舞われる荘重閑雅、気品の高い曲である。舞人は四人、赤の常装束に鳥甲を冠っている。
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舞楽〜延喜楽えんぎらく
延喜年間(901~22)に山城守藤原忠房が作曲、敦実親王が作舞したもので、高麗楽の形式によっている。四人舞。緑色の常装束で萬歳楽と一対となり、同じく慶賀必奏の舞である。
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舞楽〜賀殿かてん
仁明天皇の嘉祥年間(848~850)に遺遭唐使判官藤原貞敏が琵琶の譜によって習い伝えた曲に、楽人林真倉が舞を振りつけたといわれている。すこぶる変化のある動きの早い舞である。四人舞。袍の両肩をぬいだ形で、裾と前掛をつける。
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この後、長保楽ちょうぼうらくが続き、和舞やまとまい、蘭陵王らんりょうおう、納曽利なそり、散手さんじゃ、貴徳きとく、抜頭ばとう、落蹲らくそん・・・と、夜の10時半過ぎまで神遊が行なわれ、深夜の11時過ぎに 若宮の神様は また若宮社へとお還りになられるのでした。
途中まででしたが、この続きはまた来年以降のお楽しみにということで、有り難い思いでお旅所を後にしたのでした。