東大寺金鐘ホールで「奈良ゾンタクラブ」30周年記念企画の講演「東大寺深発見」が開催され、講師の上司永照師のお話を聞いてきました。
上司永照師は「声明上手」といわれることも多く、講演主催者の方からの「修二会の声明を是非お聞かせください」というリクエストや、また聴衆もそれを望むところ大だったりします。
今回の講演でも、そもそも「声明」とはどういうものなのか?というところからお話が始まり、通常の寺役での声明と修二会での声明の違いの説明から、東大寺の成り立ち、華厳経の教えについて、そして修二会は何のためにするのかというところまで、お話をいただきました。
講演の内容すべてではありませんが、自分用メモとして一部を書き留めておきたいと思います。
・「声明」とは仏教における五明ごみょうの一つで、その他に「工巧明くぎょうみょう」「医方明」「因明」「内明」の5部門の学問があり、五明は当時の知識人の必須科目とされた。
・通常の寺役での声明で「唄ばい」は最長老が法要の一番最初に上げるもので、一座を静粛にする役割を持つ。この講演でも、最初に上司師自身が気持ちを落ち着かせるためにと「唄」を朗々と唱して下さって、一同ほーっとなっておりました。修二会での如来唄は平衆がするもので独唱ではないなどの違い。
・また修二会での「散華」は別火でも練習はしないでぶっつけ本番、神名帳詠み上げは競ってやるもので自慢してもいい・・・などのちょっとした裏話もあり。そして神名帳を朗々と詠みあげて下さいました。
・実忠和尚が修二会を始められた経緯や、修二会は何のために行うのか
修二会の正式名称「十一面悔過法要」より、悔過=過ちを悔いる法要と思われるが、悔過とは法律で罰することのできる「過ち」を悔いるではなく、まずは「度が過ぎることを反省する」ことではないか。
・また修二会は「春を迎えるための行事」である。春を迎える=季節が順当に巡ること、すなわち風雨順時であること。修二会は春を迎えるためにする(祈る)のである。
・東大寺はもともと六宗を兼学して学ぶ寺であった。明治以降一つの宗派を名乗らなければならず、本尊が盧舎那仏であるところから華厳経を名乗っている。
・華厳経とは、雑華厳浄ざっけごんじょう・・・花は一つ一つ違うけれど、競い合うこともなくそれぞれの花がかけがえのない価値を持つ。全ての花(生きとし生きるもの)がみんな関係性を持っているという教え。また、二つ以上の異なっているものが、その関係の中で差しさわりがなく邪魔しないという融通無碍という教えも。
・・・・講演を聞きながら拾った言葉の数々。どこまで理解できたかわかりませんし、ひょっとして間違って聞いているところもあるかもしれません。ただ、お話を聞き終わって、大変深いお話に感銘を受け、大仏様にお会いしたい気持ちになり、帰りにお参りしたのでした。
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今回のイベントは、2020年に設立30周年を迎える「奈良ゾンタクラブ」のプレ記念企画の一つで、上司永照師による講演は来年も企画予定されているとのことです。楽しみですね。