江戸時代から明治までの約240年間にわたる東向北町の記録が書き込まれた「萬大帳よろずおおちょう」。
そこには、町の取り決めや出来事などが記されていて、当時の奈良の人々の暮らしぶりがうかがえる大変貴重な史料となっています。
現在まで残っている「萬大帳」は10冊、A4サイズくらいの大きさで
奈良市指定文化財として、奈良市史料保存館に寄託されています。
この貴重な史料を、このたび東向北商店街では「萬大帳をのぞいてみよう!」という冊子にまとめられました。 奈良倶楽部でも一冊この冊子を分けていただきましたので、またご覧いただけますが・・・
明日9/13(土)14:00〜15:00に、東向北コミュニティ会館にて
「萬大帳」をひもとく歴史講座もあります。(参加費無料/定員30名)
講師:史料保存館 桑原文子先生
直前のお知らせですが、興味のある方は是非お出かけになって下さい。
さて、この冊子を読んで興味深かったのは「死に鹿には清め銭」の項。
奈良では鹿は神さまの使いとされていますが、当時、鹿は町の中を自由に歩き回っていて、もし町中で死んでしまった場合の対処法が何とも興味深いのです。死に鹿が出ると町から興福寺に届け出て、確かに病死であることを検分してもらって、死に鹿が倒れていた町内が興福寺に清め銭を払う決まりになっていたのだそうです。ある時、東向北町、東向中町、中筋町の辻境で倒れていた死に鹿をめぐって、興福寺が3町ともに清め銭を出すように要求し、一町内だけにしてくれという願いを聞き入れてくれなかったという件など、思わず「えー」と思ってしまうほど。
自分の家の前に鹿が死んでいると大変なことになるので、奈良の人は朝、とても早起きだと云われています。あながち、この言伝えは正しいのかもしれませんね。