11月20日はご近所の河上蛭子神社の御例祭でした。
前日の宵宮には何度かお参りしたことがあるのですが(ブログ過去記事→★ ★)、御例祭当日にはお参りしたことがなく。
例祭当日にお供えされる御神饌の鯛懸物については、大和の祭礼などを撮ってらっしゃる写真家の野本さんより以前からお聞きしていましたので、今年こそは実際に見てみようと出かけました。
河上蛭子神社は、以前にブログでも紹介したことがある「田舎料理 畔」さんの横の道をもう少し山の方へ進んだところにあります。
鬱蒼とした木立の中に座します正面のお社には蛭子さま。
蛭子神社のむかって左側には
廣田神社、天照大神さまをお祀り。
そして、むかって右側は伊雑神社、豊受大媛神さまをお祀り。
それぞれに鯛の懸物が御神饌としてお供えされています。
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手向山八幡宮宮司さまによる神事の後、宮司さんより、大変古い版木とそれを刷ったご神影を見せていただきました。
伊雑神社のお社に描かれたお供え物のような絵↑は、こちら↓の上の方に描かれているものではないでしょうか・・・と、そんな話も出て。
この版木は江戸の初期1659年の奉納で、奈良倶楽部お隣の鍵田邸でお祀りをされていたものだそうです。現在は蛭子神社の倉庫にて保管され、宵宮の時にだけ目にすることができます。
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さて、実は河上蛭子神社でのご神事(10時半頃)の前に、奈良倶楽部ご近所の祇園社にも手向山八幡宮宮司さんが来られて神事を執り行われました。(10時頃)
時間が前後しますが、こちらにもりっぱな鯛の懸物が。
そして、この時ご町内でお配りされていたのが、こちらのご神影。
このご神影の版木こそが、手向山八幡宮で保管している河上蛭子神社の一番古い版木だそうです。(上の写真の版木よりも更に古いものだそうです。)
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それにしても、なぜ蛭子神社の祭礼に合わせて、同じ町内でもある川上雑司町の祇園社でも神事をされるのでしょうか?
お尋ねしましたら、氏子の川上農家組合のご町内の神社はこの2ヶ所だけなので、一緒にお祀りしましょうということだそうです。
余談ですが(奈良市内在住のご年配の方ならどなたもご存知のことですが)、奈良倶楽部お隣の鍵田家では、先々代の時代に蛭子神社の宵宮の日に鍵田家の裏庭で豚汁の振る舞いなどが行なわれ、たいそうな賑わいでした。私達もおじゃましたことがあり、奈良中の人達が鍵田家に集まるというくらいすごいものでしたが、この時はえべっさんに合わせて振る舞いをされているのかな・・・くらいの認識でしたが、実はご神体(と言っても、境内の石をお祓いして、分け御霊としたもの)もお祀りしての宵宮だったようです。
で、その時のご神体の石も今は蛭子社にお返しされて、宵宮の時には外に出されてお参りできるようにされているとか。今年は、19日夜の宵宮には出かけなかったので、来年に確かめてみたいと思っています。