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2016年2月28日日曜日

入江泰吉旧居にて佐藤道子先生の講座に参加*

入江泰吉旧居で開催された佐藤道子先生の講座『お水取りと入江泰吉』に参加いたしました。
ご存知のように、佐藤先生は50年以上も修二会に通って研究を続けてこられ、その成果を「東大寺とお水取り」に上梓され、後に続く者への誘いとして下さった、修二会研究の第一人者ともいうべきお方です。
修二会についてお話をすると何時間でもお話してしまうので、今日の講座ではそれはさておき、修二会で出会った入江先生の思い出と入江先生と親交の深かった上司海雲かみつかさかいうん師のお話を聞かせていただきました。

※以下、講座の詳しい内容を「お水取り大好き」の皆様へ書いてみようと思います。興味のある方は「続きを読む」からどうぞ++


入江先生の修二会取材は、終戦翌年の昭和21年から始まって30年近く。
佐藤先生は昭和42年(1967年)が初めてのお水取りで、最初の年は女性の調査に許可が下りず、翌年(1968年)から許可が下りたそう。
その1968年に出版された入江先生の写真集「お水取り」に佐藤先生が一文を書かれているそうなのですが、実はその年の参籠宿所入りの折に、入江先生の助手と撮影場所をめぐってちょっとした諍いがあったという思い出話も披露してくださいました。(参籠宿所入りされる練行衆の方々の確固たる覚悟を撮りたいと入江先生の助手の前に出てしまったそうで、何故かその話を後日練行衆の方々が喜ばれて、いつのまにか「佐藤先生と入江先生が喧嘩した」という話になったそうです。)

助手の話がここで出てきますが、実は入江先生はほとんど助手を連れずに一人での撮影が多く、修二会の取材でも、表立たないように気をつけてひっそりと撮ってらっしゃったそうです。
入江先生ご自身はとても内輪な方で、佐藤先生もそれほど社交的でもないので、実は二人はほとんど交流交渉なく過ごしたそうです。
ただ、「十二人目の練行衆」と呼ばれるくらい毎日欠かさず参籠していた入江先生も、上司海雲師が参籠されなくなると(海雲師は1972年に別当に就任)、「被写体が少なくなりましたから」と、あまり参籠されなくなっていかれたそうです。
ちょうどその少し前から通い始めた佐藤先生は、ご自分が入江先生の後を受け継いでいるという想いを持って、修二会に通うようになったとおっしゃてました。

では、入江先生と幼馴染みで深い親交があった上司海雲師とはどのようなお方だったのでしょうか。
海雲師が参籠される時は、本気で懺悔し本気で祈る、本気の厳しいお籠りだったということで、周りの聴聞者もその空気感を理解し本気で聴聞されていた。入江先生は海雲師が参籠される時だけ撮影にこられるようになっていたそうです。
海雲師の大導師の祈りは本気で、5・7・12・14日の数取懺悔の最後の祈りは聞かないと伺った意義がないとまで佐藤先生も思っていたそうです。(練行の諸衆だけでないと思わせるだけの祈りだったと懐かしくおっしゃってました。)
海雲師がお籠りされるからしっかりしなければと周りが思うくらいの影響力、オーラのあった方だった。
その時代その時代に「この方」という方がいらっしゃる。今あるものは今ある時代の産物であると承知していなければならないが、佐藤先生にとっては、「心を込めて祈る」ということを体現できる最後の方が海雲師だったと。

修二会の魅力に抗いようもなく絡められてきたとおっしゃる佐藤先生。
修二会とは、佐藤先生にとってどのような存在なのでしょうか。
海雲師の祈りや入江先生の姿勢を通して、本気になって伝えていく行事ではないかと思っている。半世紀近く通っていてもわからない行事が多く、とても大きな行事である。誰かが何かしなければ何もかわらない、誰かが何かしなければいけないと、研究調査されてきた先生。
お松明はお松明ですごいけれども、その後の悔過法要も知って欲しい。毎日の行法の変化がわかると面白くなって毎年でも通いたくなる・・・・と、話が修二会の魅力についてに及ぶと、熱く熱く語り出されて止まらなくなります。(よく声が通るようにと、1時間の間、ずっと立ったままお話されていたこともここに記しておきます。)

さて、そろそろ時間がきました。
最後に進行役の倉橋みどりさんとのやりとりの中で・・・
先生がお籠りされ始めた50年前は、現代のように温かな衣服もなかったので極寒の堂内でどのように過ごされましたか?という質問に
衣服は色々試したが、絹の袷の着物が一番あたたかく、付け帯(お母様お手製の)で手早く身支度して、お水取りのおかげですっかり着物党になりましたという裏話も。
50年通っても、あれもこれも、し残したことがいっぱいあってまだまだ満足できていない悔しさがある。見方を変えれば、修二会とはそれだけ大きな行事であるということ。是非毎日いらっしゃって下さいとおっしゃってました。

「佐藤道子の前に佐藤道子はいなかった」という倉橋さんの名言。
「お水取り女子」の先駆であり先達である先生の背中を追いかけていきたいと、修二会本行を前に心に誓った方々も多かったことと思います。
素晴らしいお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。

追記>>
この日の朝の奈良倶楽部・・・朝食の仕事をしながら佐藤先生がお話なさっているのが聞こえてきて、その中で佐藤先生が「自分自身が、ある時代の形を形作っているのかもしれないので、縛ってはいけないし気をつけなければいけないと思っている」とおっしゃって、大きな仕事を成し、大きな影響力もあって、尚 謙虚に臨んでらっしゃる姿勢に感服してしまいました。素晴らしい気配りの優しいお人柄に触れることができ心より感謝です。