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2012年2月5日日曜日

田原本町へ*「鏡作神社」と「多神社」

今年は古事記が編纂されてちょうど1300年という記念の年。
古事記編纂の地・奈良に住む私も、今年はできるだけ、古事記に出てくる舞台や古事記ゆかりの神様をお祀りしているところを訪ねてみたいと思っています。

まずは、編者太安万侶が元明天皇に古事記を献上した1月28日・・の
翌日29日に、太安万侶を輩出した古代氏族・多氏ゆかりの神社
「多神社」がある田原本町へ行ってきました。

田原本町は以前からゆっくりと訪ね歩いてみたいと思っていた所です。
そう思ってから2年も経つのに今だ訪ねていないのが気になって
古事記めぐりの第一弾は「多神社」にしようと思ったのでした。

その町を知るには、レンタサイクルや徒歩でゆっくりと廻る方が身近に感じられていいのですが、何しろ真冬の寒さが堪える一日でしたので、車でピンポイント的に行ってみたい箇所を廻りました。

最初に立ち寄ったところは「鏡作神社」



「鏡作神社」正式名称「鏡作坐天照御魂神社」のご祭神は
天照国照日子火明命、石凝姥命、天糠戸命の三柱。

このうち石凝姥命いしこりどめのみこと
天照大神がスサノオの乱暴に怒って天岩戸に隠れた時に
岩戸から誘い出す方便として八咫鏡やたのかがみを作った神様で
天孫降臨の際には、瓊瓊杵尊ににぎのみことに附き従って
天降るよう命じられた五伴緒神の一人であります。

・・・と、行った先で古事記に出てくる神様の名前がでてくると
おお〜っと妙にテンションが上がってきます。


本殿では石凝姥命いしこりどめのみこは右座にお祀りされています。

左座に祀られている天糠戸命あまのぬかとのみこと
石凝姥命の父として系譜つけられており鏡作りの守護神とされています。

中央にお祀りされているのは天照国照彦火明命あまてるくにてるひこほあかりのみこと
崇神天皇の御代に内侍所の神鏡をこの地で鋳造したとき
試鋳として作った鏡を天照国照彦火明命と称しているという。
社伝ではその試鋳の鏡が鏡作神社のご神体であると伝えています。

(↑クリックで拡大します)
古代から江戸時代にかけて、鏡作師が多く住み鏡造りに励んだ土地。
鏡の神様として由緒の深い神社です。
また「鏡作神社」の近くには末社の「鏡作伊多神社」「鏡作坐若宮神社」「鏡作麻気神社」があります。
いつか季節のいい時に、ゆっくりと末社も廻ってみたいと思います。

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本日の目的地「多神社」。


「多神社」正式名称「多坐弥志理都比古神社」の所在地、田原本町多は、太安万侶らをはじめとする古代氏族多氏の根拠地と伝えられています。
神社の祭神は神武天皇・神八井耳命・神淳名川耳命(綏靖天皇)・姫御神(玉依姫)の四柱で、このうち神八井耳命が多氏の祖だということです。



多神社には日が暮れかかった頃に慌てて駆け込みました。
境内の石灯籠に灯りが入ってちょっと幻想的な雰囲気。

それにしてもここは気持ちのいいところでした。
また「三輪山—多神社—二上山」と、ほぼ東西一直線上にある多神社は
春・秋分の日に三輪山頂からの日の出を拝する特別な位置にあります。
境内には、太安万侶関連資料を展示する資料館もありました。

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この日は暗くなってきたので寄らなかったのですが
すぐ近くに「小杜神社」という多神社の若宮があります。
こちらは太安万侶ご本人を祀る神社で、学問の神様と信仰を集める一方で、“コモリ”の読みが“子守り”へとつながり、安産の神様として信仰されているのだそうです。

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ところで、何故そんなに遅い時間になったのでしょうか?
その理由は「鏡作神社」の後に立ち寄った「唐古・鍵考古学ミュージアム」で、ボランティアガイドの方に説明を受けていたのが楽しすぎたからでした。
3時間近くもミュージアムで過ごした訳で、その後「多神社」にしか寄れず、心残りな田原本町訪問でしたが、この他に「村屋神社」も訪ねたかったので、またいつかの楽しみにと思っています。
「唐古・鍵考古学ミュージアム」の様子はまた後日に続きます。

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今回の訪問では「記紀・万葉でだどる奈良」のサイトの中の
「多神社周辺ルート」を参考にしました。