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2013年9月23日月曜日

転害門観光案内所で「転害会図絵」の展示

転害門横の観光案内所で、昨日から10/5まで
「転害会と二躰の五劫思惟阿弥陀如来坐像パネル展示」展が
開催されています。(毎週木曜日は休館/10:00~16:00開館時間)
これは、10/5に行なわれる手向山八幡宮祭礼「転害会」を
広く知ってもらうために企画されたもの。
手向山八幡宮からお借りした祭礼の様子の写真パネルなど↑と
東大寺勧進所と五劫院の二躰の五劫思惟阿弥陀如来坐像↓について
説明されたパネル展示と
ちょっと珍しい「転害図絵」の複製展示も!
この複製は、手向山八幡宮所蔵の絵巻物(全三巻)を奈良女子大学付属図書館でバーチャル化したもので、それを今回プリントアウトして展示しています。
三巻の絵巻物のうち、一巻部分を5分割して、その中の前半部分と後半部分が展示されているのですが、ちょっと様子を見てみましょう。
この絵図は文政4年(1821年)の秋に
神主である延興氏によって記されたものだそうです。
手向山八幡宮は、天平勝宝元年(749年)、東大寺大仏殿を建立するにあたり、大分県の宇佐八幡から東大寺の守護神として勧請されました。
この遷宮の時に、転害門をお旅所として神輿が迎えられたことが転害会の始まりで、天文8年(1539年)までは勅祭として行なわれていました。
それ以降も郷民たちの手によって行なわれましたが、神仏分離の影響もあり、行列は途絶え、現在では祭式のみが、神社内と転害門で行なわれています。
絵図からもわかるように、神輿の渡御、神供、祭式の他、田楽・舞楽の奉納が行なわれ、かつては、奈良で一番のお渡り式であったようです。

絵巻の他の巻からは
転害門に神輿が渡ってくるところや転害門の様子がわかるところを
プリントアウトして下さってますので
その頃の転害門の様子がよくわかり
そして華やかだった転害会の様子も偲ばれて、大変興味深いです。

この展示は10/5の転害会まで行なわれていますので
是非、転害門観光案内所へもお立ち寄り下さい。

尚、転害会は、毎年10/5 朝9:30より手向山八幡宮にて神事のあと
11:30より転害門にて神事祭典が執り行われます。
当日は 転害会の法要終了後(10:00~16:00頃)に東大寺勧進所八幡殿にて
手向山八幡宮のご神体で明治の神仏分離の際に東大寺へ移された国宝の「僧形八幡神坐像」(秘仏)が特別開扉されます。また勧進所公慶堂「公慶上人像」、勧進所阿弥陀堂「五劫思惟阿弥陀如来坐像」、五劫院「五劫思惟阿弥陀如来坐像」も併せて開扉されます。