明治30年に「古社寺保存法」が制定されてから110年余り。
それまで信仰の対象として捉えられてきた仏像は、それ以降
貴重な文化遺産を守るという理念の下で、保存修理をされる
ことになりました。
この展覧会では仏像修理110年余りの歴史の中で
一つの歴史を築いた修理や、記憶しておくべき修理などを取り上げ、
それらの修理にはどのような難しさがあったのか、
修理に携わった技術者たちはそれをどのように克服したのか、
新しい修理材料はどのように改良・工夫されて使用されたのか
といった観点から、およそ100年の修理の歴史を振り返ってます。
修復された仏像10件のほかに、展示できない大型の仏像については
模造・ 模型・写真パネルで展示紹介されています。 (HPより引用)明治時代の仏像修理は、岡倉天心が創設した「日本美術院」が行い
東京美術学校の卒業生だけでなく、奈良在住の大工、仏工、金工なども
修理に参加したのでした。
岡倉天心の死後「日本美術院」は二部制となって、国宝修理を担当する
第二部は奈良に本拠を置き「奈良美術院」と呼ばれます。 そして、
現在も、岡倉天心の構想を受け継ぐ修理技術者の団体「美術院」が
京都奈良の国立博物館の「文化財保存修理所」で修理を行っています。
※今年の2月に「文化財保存修理所」を見学した様子はこちらです。
今回展示されている中で、その時に見学した仏像だったと思うのが
薬師寺の四天王像の内の3体です。
この四天王像には、ちょっとした逸話があり。
二天王像(持国天・多門天)と頭部のない天王像が
薬師寺に残っていて、調べると持国天の右腕部材が四体目の仏像の
ものであると推定されたそうです。それで、この右腕に取り付ける
第四の天王像を今年度新作されるということで、すごいですよね。
このように複数体の仏像では、過去の修理で
「あっちの部材をこっちへ、そっちの部材をあっちへ」と
取り付けることが多かったようです。(平等院の雲中供養菩薩像も)
52体ある雲中供養菩薩像も、明治の修理で、すべての像が解体され
鳳凰堂の扉絵や壁画の例を参考にして、
各部材は正しい位置にと、修復されたのでした。
すべての仏像修理にはそれぞれドラマがあるのですね。
特に私が印象に残ったのは大分県臼杵市の磨崖仏郡の中の
「古園石仏」の修理についてです。
こちらが修理前の姿です。(写真は図録より)
江戸時代の地震で落下したままの頭部を元に復元するかどうかで
地元の観光関係者の間で意見が分かれたそうです。
人々の中には頭部が間近にあってそこに風情も感じられ
現状のままでという意見もあったのですが
尊い信仰の対象である仏様の頭が地に落ちているのは忍びない
という判断で復元を決定されたそうです。
客観的に見れば、絶対に元に戻すべきと思うのですが
現状の状態が観光の目玉になっているようなら、現状維持を
支持したかもしれないなぁと・・・。
話は飛躍しますが、東大寺の七重塔を復元する話に、
現状の東塔跡の自然の素晴らしさが壊されるのでは?と
アレルギー反応を起こしている私は、それに重ねて考えてしまって
少々複雑な気持ちで見てしまいました。
こちらにも後日談があって。図録に掲載されていたのですが
修理完成後、臼杵市長がこの大日様を拝めば「首がつながる」と
話されたので、以後勤労者の参拝が増加したそうです。
自然の岩壁に刻まれた仏さまの劣化の最大要因は
冬場の放射冷却によるのだそうで、大きい屋根もかけて
劣化損傷を防いでいるようです。
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ほとんど修理する前と変わらない状態で戻すという「現状保存」が
仏像修理の基本であるのですが、中には現状維持ではなく
当初の姿に復元する修理もあります。
またこの展覧会では、仏像の模造が、伝統的な技術の継承と
修理技術者の養成という点で大きな意義があると
幾つかの模造品も展示されています。
法隆寺百済観音立像のように現状の姿を模造したものもあれば
興福寺阿修羅立像のように1300年前当時のままに
復元模造されたものもあって、今とイメージが違いすぎて
びっくりするやら感心するやらでした。
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また、会場を出た所には「手に触れる展示」として仏像の用材が
クスノキからカヤ、ヒノキへと時代とともに変わっていく過程の
解説コーナーがあり、それぞれの材質の仏像を手でなでられたり
木の香りを嗅いだりすることができるようになっていました。
実際、すごく手触りが違うことが実感できて楽しかったですよ。
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『仏像修理100年』展は、西新館一室のみの展示でしたが
一つ一つ丁寧に観ていくと、非常に見応えのある展覧会でした。
鑑賞で感じた印象を心に留めておきたかったので、当日は
「なら仏像館」での『至宝の仏像』展 鑑賞を後日にして、
この展覧会だけで博物館を後にしました。
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余談ですが・・・
こちらは奈良倶楽部のある通りの、一本南の通りにある
「武蔵野美術大学奈良寮」の建物です。
「奈良美術院」総責任者、新納忠之介(にいろちゅうのすけ)氏の
旧宅で、かつてフェノロサ、岡倉天心、ウォーナー も訪れたところ、
明治期に建てられた伝統的な大和棟高塀造りの建物です。
(10年前に中を見学させてもらったことがあるのですが
裏庭の西側に蔵があって、そこにフェノロサだったか天心だったかが
描いたエジプトの壁画があったのを覚えています。)
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奈良国立博物館 特別展「仏像修理100年」
会期:7/21(水)〜9/26(日)
休館日:毎週月曜日(8/16・9/20は開館し、9/21は休館)
開館時間:7月8月は9:30〜18:00。9月は9:30〜17:00
ただし7/31〜8/15 と、毎週金曜日は19:00まで。
入館は閉館の30分前まで
公開講座や関連行事も盛り沢山ですよ!詳細はこちらとこちら。