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2017年2月13日月曜日

法華堂夜間拝観

「なら瑠璃絵」期間中の共催企画『学びの夜 ―祈りの回廊』
今年は事前申込み制を取られていたので、休館日にしていた9日の催し
「文化財修理とその維持について~法華堂諸尊像の場合~」に申し込んでおきました。
午前中に降り積もった雪も夕方には半分溶けていましたが
奈良の冬の真髄とも言える底冷えの厳しい一日。
とぼとぼ歩いて、東大寺金鐘ホール到着。
まず最初に「法華堂修理」の朝日放送の記録映像が上映され、その後、レジュメを補足される形で狭川普文管長のお話を伺いました。
記録映像の中で一番印象に残ったのは・・・
諸尊像修理にあたって施された剥落止めに、薄い糊の膜で覆う場面があり、その糊の水分が乾くまでの10分程の時間しか見られなかったそうですが、梵天像の甲冑の胸当の部分に鳥の絵が描かれてあったのです。
天平時代に描かれた鮮やかな彩色が現れ、すーっと引いていく・・・幻を見たような場面でした。
明治の修理以来お御簾から出られたことがなかった執金剛神像の背中を拝見できたことも印象深いことでした。
また、狭川管長の軽妙なお話の中にも、東大寺という寺を守るという強い意志を感じました。
今回の修理では、ご本尊の八角形の台座の構成部材を年代測定すると、729年と730年の伐採年代が判明したのだそうです。このことから、東大寺の前身寺院金鐘寺・法華堂(三月堂)は、728年に亡くなられた基親王の菩提を弔うために創建されたということ、東大寺創建の意味がここにあるとおっしゃってました。(おそらく祈りの心にあるということでしょうか)
その他に、江戸時代に二月堂が焼失して修二会が出来なかった時には法華堂で2度されたことから修二会の話に少し逸れたのですが、修二会がこれほど長く続いているのは、東大寺の中からの自発的な法要で国家に強制されてしているものではない、守ってきた人々の心と厳しい自己規制の上に続いているのだということ。そして信仰の深い人々がいたから続いてきたのだとお話されていました。
(あつい信仰心を持って修二会を聴聞されている方々の末席にいる者の胸を打つお言葉でした。有り難や。)
その後、2班に分かれて夜の法華堂参拝に向いました。
天平時代の御像ばかりの法華堂。天平時代につくられた仏さまはすっと立っていらっしゃるので、ちょっと斜めから見ると宙に浮いているように見えるのだとか。(狭川管長談)
内陣に入室して、狭川管長が唱えられる般若心経に参拝者一同で唱和してお参りして、法華堂から外に出た時に思わず出たのは「なんて幸せな夜なんだろう・・・」という言葉。
何ともいい時間を頂きありがとうございました。
(写真は2/9撮影。この後にまわったところはこちら