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2011年6月11日土曜日

想いを形に移すこと*

震災から3ヶ月経った今日は色々考えさせられる一日だった。
私の小さなコツコツ募金は始めてから一ヶ月過ぎてようやく大台に乗り、こんな調子では(細々過ぎて)自己満足なだけではないかと思うのですが。営業的にも何とかしなきゃと思う反面、昨晩は一人旅の女性ばかり3名の方が皆さんリピーターさんで、細々でも仕事を通して、こちらの心に響く出会いをいただけることに有り難くてもっと謙虚に日々を生きようとあらためて思ったり。そんなことを思いながらも、人生の中でいつも精神的な感傷を優先してしまっていることに、そろそろもっと言葉で発信したり行動したりアクションを起こさないといけないのではと考えさせられてしまったのです。

ちょうど今日は、Beeの畑でエネルギーシフトを願うBee Energy shift FLAGというアクションがあるという。きちんとみんなで考えて できることを発信していくって素晴らしいこと。私も思いをFLAGに書いて吊るしてもらいましょう。
 そして買ってきたステッカーを車にペタッ。
畑の小屋でBagelさんから「村上春樹さんがスペインでスピーチされた内容が素晴らしい」と聞き、帰宅してから全文を読めるところを検索しました。こちらで文章が読めます。(勝手にリンクさせていただきましたが)
・・・我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。・・・
・・・格調高い言葉に武者震いを覚えてしまいました。

そして今日6/11は世界中で脱原発100万人アクションが。
大阪でのアクションに奈良からも参加しますと、先日の小出先生の講演会で聞いたので、こういうデモに参加することなんて人生であるとは思ってもみなかった私達夫婦でしたが、大阪へ出かける予定があった夫はちょっとのぞいてみると。

想いを形に移すこと、行動に表すことは むつかしいことかもしれない。難しく考えるとかえって何もできないのかもしれない。
何もできないのをわかっているからせめて心を寄せているのだろうか。
3ヶ月経って今までとは違った様相に、まだまだあまりにも大きい様相に、心を寄せているだけでいいのだろうかと自問するのだけれど、答えがわからないのです。村上春樹さんの「humanity」という言葉に希望を感じたりするのですが・・・。

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トップの画像の萩の花は法華寺で。
今日は昨年体験してとても気持ちのよかった「浴室施浴体験」に行ってきました。
何故、昨年この浴室からふろに入ってみたくなったのかというと、その頃、義母の介護に素直な愛情を持てずに自己嫌悪に陥っていた私は、「光明皇后がこの浴室からふろで『我自ら1000人の垢を去らん』と発願し、1000人目の病人の、肉がただれ膿が出ている患部に躊躇無く唇で触れた途端に病人を癒やした」という伝説に「本当に?」と懐疑的になって実際に体験してみようと思ったからという屈折した理由があったのですが、天の邪鬼的に考えれば皇后の発願を後世に政治利用した結果の伝説かもしれないし・・・でもまぁこの蒸し風呂は本当に身体に気持ちがいいので素直にこの体験を味わっておこう・・とか、今年もそんなことを思いながらの施浴体験でした。(今日は支離滅裂なつぶやき。明日からまた奈良情報を発信しましょう。)