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2016年2月21日日曜日

映像詩「かすがの煌めき」

昨日は春日大社「感謝・共生の館」で 保山耕一さんが制作された 映像詩「かすがの煌き」の上映会がありました。
プログラムの始めに、春日大社の折々の美しさを映像にした「時の雫」が上映されました。そのまず最初に映し出された、社殿の朱色に白い雪がただただ降りしきるという静かな美しさに、目も心も引き込まれていきました。季節がうつろい、御蓋山や春日の山々から霧が立ち上り流れてゆく様子、枝垂桜の風に散りゆくさま、藤の花、飛火野に立つナンキンハゼ・・・何度も目にして知っている風景もあり、それだからこそ、保山さんの感性に感動してしまう。この美しい映像に添えられた笙の音色と朗読の響きも心地いい調べでした。
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朗読されたのは、春日大社の権宮司であった岡本彰夫先生のご著書『神様が持たせてくれた弁当箱』から選ばれた言葉たち。
「神様は心のこもったものしか受け取ってくださらない」「感動しなければ人は動かない」(感応すなわち感ずれば応ず)などなど。
岡本先生からいただいた「神様は撮影できなくても、神様の気配は撮影出来るはず」という言葉に導かれてきたことなど。
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次に「奉納するということ」についての座談会をはさんで、いよいよ「かすがの煌めき」の上映へ。
この「神様への奉納」は映像詩「かすがの煌めき」の大きな軸でもあるのですが、春日の森にしたたる一滴の雫がやがて水となり龍のごとき雲となり慈雨となって、また春日の森にそそがれて、その水と墨とが出会って書家・桃蹊さんの書となる。
ただただ無心に墨をする。硯と墨の音。筆にたっぷりと墨を含ませ紙に落とす、にじませる。その墨蹟に水滴、そして春日の山々が重なり・・・飛火野のナンキンハゼの紅葉の下で筆を走らせる。
初冬の満月の夜が明ける前、まだ暗闇の中、春日大社の林檎の庭で奉納する彼女からはただならぬオーラが発せられて、私はそこにも神様はいらっしゃると感じたのでしたが。
最後のアフタートークで、奉納された書を見せていただきました。
「煌」を間にして、撮影秘話を話される保山さんと桃蹊さん。この場面のみ撮影が許され、観客席から書の半分しか写せなかったのですが。
帰宅してから、保山さんにいただいた「奈良、時の雫」を見ました。
これは昨年の春に奈良の桜を撮られた映像。
桜の花びらの最後のひとひらが散りゆくところを撮るために5時間待ちましたとおっしゃった保山さん。
保山さんが紡ぐ映像には、時間をかけて、かけた者だからこそ手にすることができた奇跡がちりばめられて、自然に寄り添う保山さんの優しさや愛おしむ心根が伝わってくるのです。儚げな美しさ、盛りを過ぎたモノへの慈しみ・・・見ているといつもドキドキと心臓が高鳴るのです。
本当に素晴らしい上映会でした。
保山さん、桃蹊さん、制作スタッフの皆様
感動をいただき、ありがとうございました。
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さて、朗報です!
映像詩「かすがの煌めき」は東京・新宿の「フリースペース無何有」で開催される桃蹊さんの個展でも上映されることになっています。
上映会は3/20〜3/25は毎晩18:00〜/最終日3/26は14:00〜
上映時間は90分。参加費500円です。
特に予約は不要ですが、ご一報いただけると有り難いということです。(20人程のスペースです)
E-mail hanami626@solid.ocn.ne.jp
個展は11:00〜18:00 で入場無料です。東京方面の方、是非お越し下さいますよう宜しくお願いします。