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2016年2月2日火曜日

映画「大仏さまと子供たち」見てきました*

この映画、東大寺が大好きな方ならきっとワクワクドキドキと楽しい気持ちで鑑賞されると思います。
私も、終戦から数年後の、東大寺境内を中心とした奈良の街や寺社の様子などに、現在と違うところを見つけては驚きながら鑑賞しました。
映画の主人公は、奈良にある各寺院で観光案内をしながら生活している戦災孤児の豊太。観光客にガイドをする場面で映し出される寺社の様子に、今と違う「びっくりぽん」なところがたくさんあって、それをちょっと書き出してみます。
・東大寺の大鐘をいつでも一般人が撞くことができた。
・二月堂の北の茶所の内部は今とほとんど変わらないが、出入り口には扉も壁もなく、二月堂に向いて全開だった。
・昔の良弁杉の様子
・三月堂内陣の後ろの執金剛神の扉の所まで行くことができた。
・豊太に観光案内の説明を教えたのは、同じく戦災孤児で今は東大寺の末寺の小坊主になった一雲さん。その一雲が修行している末寺が、佐保山さんの塔頭で内部も少し映し出されていました。
・豊太と一雲が案内の説明について、裏参道の土壁に落書きしながらディスカッションしていた。
・豊太を引き取ることになる落選彫刻家が居候している塔頭の知足院も内部が映っている。
・当時、戒壇堂は一般公開されていなかったようです。
・大仏殿裏の講堂跡は松の大木が多く鬱蒼としていた。
・観光客を乗せたボンネットバスが開山堂の前まで進入していた。
・春日大社参道を車が走って、二の鳥居まで進入してきている。
・般若寺の十三重石塔の周りに石仏が置かれている。
・般若寺は楼門から、大仏殿は中門から入堂している。
・転害門も通り抜けできる。
・興福寺北円堂の無著・世親像はご本尊の前方に安置されていた。
・興福寺五重塔に上ることができていた。
・地上にあった近鉄奈良駅の様子が懐かしい!
・まちなかに普通に牛がいた。(伝香寺あたり)

戦災を受けなかった奈良は、当時の人々の精神性のよりどころとなっていたようで、復員兵が戦後の奈良を夫婦で訪ねて、日本人としての誇りを心の中に取り戻すというような場面もありました。
その他に、家のない浮浪児の豊太の郵便物受け取りの住所は、なんと東大寺南大門の仁王さんの柵のところ!ちゃんと郵便物が届けられて、当時の世相の融通の利きようも現在では失われているように思いました。
また、観光案内をしている豊太の礼儀正さや仏様への畏敬の気持ちが、彼の動作を通してよく伝わって、それが映画の全編を貫いていて、観ていて気持ちがよかったです。
帰って来ない父の消息を知ろうと、ラジオの尋ね人の時間は、ラジオが聞こえる家の軒先で耳を澄ます豊太。落選彫刻家の小父さんも東京へひきあげることになり、一人ぼっちの豊太を連れて行ってくれることに。その前夜、豊太は一雲と一緒に大仏さまの大きな掌の上で眠るという場面で映画は終わります。大仏さまの無限の愛に包まれて きっと希望に満ちた夢を見ていることでしょうね。

トップの画像は、数年前に大仏さまの足元まで上らせていただいた時に撮影したものです。創建当時の奈良時代の蓮弁の模様を拝見できたこともさることながら、大きな大仏さまを間近に感じて大変感動したことを思い出しました。