明治維新の魁となった天忠組(天誅組)をテーマにしたシンポジウムが
10月13日(金) に東京で開催されます。
会場は、有楽町読売会館7階「よみうりホール」
時間は18:00 - 20:30 参加費1000円、要申込みです。
申込方法は・・・
郵便番号・住所・氏名・電話番号・参加人数(代表者を含む最大3名まで)を記入の上、下記事務局にMail・FAX・葉書でお申込み下さい。
・宛先:天忠組シンポジウム事務局
・はがき:〒150-0011 東京都渋谷区東3-15-6 百百代ビル2F
・FAX:03-6418-4735
・Mail:sympo@welcome-nara.jp
・申込〆切:10月5日(木)必着。Mail・FAXは午後5時まで
参加いただける方には10/10頃までに参加証をお送りします。
参加費1000円は当日受付窓口での清算となります。
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天忠組とは
文久3年(1863)8月13日、尊王攘夷の断行を祈願するための大和行幸が朝議で決まりました。
当時、京都の政局は尊王攘夷派が握っており、一部にはこれを機に一挙に討幕をはかろうとする動きがありました。この機を伺っていた討幕急進派の中山忠 光、吉村寅太郎、藤本鉄石、松本奎堂らが皇軍の先鋒となるため、翌14日京都を発ち、千早峠を越えて当時幕府の直轄地であった五條に入りました。
8月17日、天誅組志士はいっせいに挙兵し、五條代官所を襲い代官鈴木源内を殺害、櫻井寺を本陣として五條新政府を号し、討幕の旗をあげました。ところが翌18日、朝議は一変して攘夷派が敗れ、大和行幸は中止。ここで天誅組の義挙はその大義名分を失ってしまったのです。
その後、天誅組は十津川郷士960人の来援を得て高取城に侵攻しましたが撃退されます。さらに吉野各地で転戦しますが、1万人を超える追討軍や内部の対立、十津川郷士の離反などのため、翌9月24日、東吉野村鷲家口において決死的斬り込みを敢行して終りを遂げました。
天誅組の義挙は幕末における下級武士と豪農豪商とが一体となった最初の武装反乱で、倒幕及び明治維新の魁とたたえられる歴史的なものです。明治維新が実現するのは、このわずか5年後のことでした。
(「天忠組シンポジウムin東京」 HPより転載)