日にちが前後しますが**
2/18は修二会で灯明に使用する菜種油の「油はかり」が行われる日
でした。「油はかり」は午前10時頃に、二月堂南出仕口で行われます。
一昨年はチェックアウト後に急いで駆けつけたのですが
すっかり終わった後 でした。今年は前日がお休み日でしたので
少し早い目に「油はかり」の見学に出かけてみました。
南出仕口には油缶が5缶。静かに出番を待っています。
二月堂内からは東大寺一山による法要が行われていて
しばし、そのお声明に耳を傾けていました。
ほどなくして油を納入する「百人講」の方々がこられて
「油はかり」の準備をしていきます。
今年は油を量り入れる桶を納める箱が新調されました。
箱の文字書きは狭川普文師だそうです。
↓箱の手前のビニールにくるまれているものが計量の棒。
計量棒を箱の上に乗せて準備も完了。↑
さて、いよいよ南出仕口の扉が開き(10:20頃でした)
それまでの和やかな空気が一瞬にして張りつめたものに変わりました。
堂司が正面に座り、処世界、堂童子が「油はかり」に立ち会います。
「百人講」講員のお二人が
まずは、桶に灯明油を計量棒で量って流し入れ
それを二月堂常住の真っ黒な油壺に注ぎ込みます。
油壺は3つあり、それぞれ一斗三升、一斗二升、一斗の油を
はかり納めることになっていて、油が壺に納めれられると封がされ
さらに油の量を書いた付け札がそれぞれに付けられ
本行がはじまるまで礼堂に置かれるのだそうです。
3つの油壷に量り入れ終わると、南出仕口の扉がまた静かに閉じられ
こうして1260回目の二月堂修二会「油はかり」が無事終了しました。
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「油はかり」をされている「百人講」について。
今年初めて知ったのですが、ご近所のM家が代々東大寺出入りの油屋
だったということ。(記録に残っているだけでも200年以上遡る)
二月堂修二会を「灯明」の面で支えた「講」が、このM家を中心にした
「百人講」で、こちらの記録も200年前には存在していたとのこと。
もう何年も前に油屋はやめられているM家ですが、「百人講」はそのまま存続して、今も修二会の「油はかり」を受け継がれておられます。
ここ数年は、Mさんの親類のSさんが担当されています。
また二月堂で使われる燈明油は、数年前から
愛知県岡崎市の太田油脂株式会社が御寄進されているのだそうです。
こちらの会社のHPに「菜種をじっくり圧搾して抽出する油で、火をともした後に出るススが少ない」伝統的な製法で作られた優しい油とあります。
お声明を唱えられる練行衆にとって煤の少ないお燈明は本当にありがたいものですね。