3月1日から始まった修二会の本行も、後半の8日からは「下七日」と呼ばれ、前半の「上七日」と比べて、初夜の勤行が「引上げ」という略式の形式になり、下堂時間も1時間程早くなります。
個人的には少々遅くまで聴聞していても身体に負担が少ないので、今年は8日から11日まで毎日 聴聞に通いました。
何より、昨年に初めて耳で捉えることができた、下七日にしか唱えられない「教化」をしっかり聞きたいという気持ちが強かったのですが。
まだまだ知らないことの方が多くて、その上、仕事の関係で限られた時間内での聴聞しかできていませんが、2017年3/8から3/11の聴聞記を記しておきます。
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3/8
下七日初日。初夜の大導師作法途中から下堂まで聴聞しました。
12日に上がる籠松明が出来上がり、修二会が始まった頃に三日月だったお月様も少しずつ丸く膨らんできています。
この日はほとんどを東の局で聴聞しました。
8日9日に行なわれる「牛王刷り」の墨などが東側(ご本尊様の裏正面)に置かれた棚にあり、練行衆がこちらに来られては、お香水を足したりされているのがよく見えて、まさに舞台裏を覗いているような心持ちで拝見聴聞していました。
また「教化」は、初夜と後夜の咒師作法の前ではなく後に唱えられのですね。昨年に教わっていたのに、その前だと勘違いしていました。初夜咒師作法の終わりに、咒師の上司永照師の声色が急に変わって「いさぎよき補陀の都に・・・」と始まって、「これこれ、これが聞きたかったのよー」と心の中で呟きながら「法の声常に聞かむと杖奉る声奉る」と、これまた心の中で一緒に唱えるのもまた楽しなのでした。
そして後夜の咒師作法でも「父母を仏になさむ」と急にトーンが変わって、心の中では「きたー!」と興奮状態。
一年ぶりに聴くことができた「教化」に、また半夜も後夜も時導師さんが素晴らしくて、とてもいい聴聞でした。
そして午前1時の奈良太郎の鐘の音を聞きながら帰ったのでした。
※「牛玉刷り・牛玉日」
8日と9日は「牛玉日ごおうび」と称し、初夜と後夜の「大導師作法」や「咒師作法」の間に、牛玉札や陀羅尼札だらにふだを刷ります。
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3/9
初夜咒師作法、教化、半夜の勤行、法華懺法まで。1時間半ほどの短い聴聞でしたが、行ってよかったです。しみじみそう思いました。
この日も東の局で聴聞しました。私を入れて3人、そのお二人も法華懺法が始まると移動されたので、あの広い東の局でたった一人で聞いていました。礼堂で唱えられる法華懺法のお声が、東の局まで届くかなと心配したのは杞憂でした。一人で贅沢に聴かせていただき大変有り難いことでした。
そしてお目当の「教化」は、昨年聞いてインパクトが強すぎたあの一節にこだわりすぎると全体がわからなくなるなぁと感じたのです。
局から出て夜空を見ると、お月さんが満月に近づいているのか、とても明るくて空の色も美しい夜でした。
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3/10
この日も初夜咒師作法から入り、教化、半夜の勤行、法華懺法、後夜の勤行をしっかり聴いて、教化、晨朝・・・と、頑張って最後まで聴聞しました。
連日の聴聞、3日目となると少しずつ耳が慣れて、お声明がとても聞き取りやすくなって、今更ながらですが、後夜の悔過作法の一つ一つがとても心に染み入り、修二会の正式名称「十一面悔過法要」の意味が朧げながらも感じられるようになってきつつあるような・・・。
来年こそは初夜の悔過作法も最初から聴聞しなければと、これからの課題が見つかったように思いました。
10日の日付けが変わって3月11日になった頃、6年前の今晩はまだ誰も何も知らないでいる時間なんだなぁと、そんなことを想像しただけで、時計を戻したくなるこの時間にただただ手を合わす聴聞となりました。
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3/11
10日と同じく22時頃に二月堂に着いて、最後まで。
午前1時の鐘の音を聞きながら家路に着きました。
満月を明日に控えて空の色がいよいよ明るく美しく、修二会期間中は日々の月の満ち欠けで同じ時間でもお月様の位置が変わって、毎晩特別な夜空を見ることができ、これも聴聞の楽しみになっています。
11日は「蜘蛛の巣払い」といって、明日の籠松明を控えて登廊にはたっぷりの水が撒かれていました。
土曜日ということもあり、最後まで残っていると、たくさんの知人に出会った夜でした。
小綱春彰さんからのお香水が湯屋の前にあり、甘露のお香水を深夜にいただく贅沢を味わいました。
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そして、日を追うごとに息のあったお声明を聴くという極上の贅沢も味わいました。「下七日」の独特のスピード感にわくわくしながら聴聞でき、また来年に繋げていきたいと思うのでした。