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2016年12月26日月曜日

シンポジウム「桜とともに生きる」

6月に東京・虎ノ門ヒルズで開催され、大盛況だったシンポジウム「桜とともに生きる~吉野・命と再生の聖地~」が、12/24に地元奈良でも開催されました。
プログラムは三部構成で・・・
第一部:オープニング
保山耕一さんの「聖地への誘い」がオープニング映像として映し出される中、山伏による法螺貝吹奏と、岡本彰夫先生の「奥大和は日本の床の間」というメッセージが朗読され、そして楽しみにしていた保山さんの「映像詩・桜とともに生きる」が上映されました。

映像詩では・・・如意輪寺と櫻本坊の二つのお寺の奥様のインタビューに胸を打たれました。子供の死によって教えられたこと、残された者の使命、今も一緒に生きているという想い。深い悲しみを乗り越えてこられた方のお話が心にしみました。
吉野の素晴らしい自然、桜の花のさまざまな美しさ、桜の木が吉野に植えられてきた意味、1300年以上再生を繰り返し植え続けられて桜の花の命をつないできたこと、命の輪廻・再生。金峯山寺の蔵王権現像の大迫力、如意輪観音さまの優し気な微笑み。修験道や神さま仏さま、祈りということ・・・美しい映像と素晴らしい音楽(すみかおりさんの生演奏!)を堪能し、吉野への憧憬がますます深まりました。

第二部:講話
巽良仁・櫻本坊住職と加島裕和・如意輪寺副住職の講話、岡本先生の「後南朝を廻る」、後南朝ゆかりの川上村・栗山村長のお話など。
それぞれのお話の内容は大変濃く、深く考えさせられながらも、岡本先生とNHKアナウンサーの原大策さんの軽妙な司会進行で、ほろりとなりながらも楽しく聞かせていただきましたが、中でも強く印象に残ったのは「後南朝」のこと。
「後南朝」については、NHK奈良放送局 「ならナビ 岡本教授の『大和まだある記』」の12/13放送分「後南朝・知られざる歴史」をご覧頂くとわかりやすく理解出来ると思います。(放送された内容は次回の放送日まで動画で視聴できます)
またシンポジウムでいただいたパンフレットの後半部分には、増田隆さんの「後南朝紀行~朝拝式を伝え続ける山峡の里~」というレポートが掲載されています。(来年には本になるそうです!)
「後南朝」という言葉は聞いたことはあっても、その中身を全く知らなかったので、後南朝最後の自天親王の遺愛品を前に朝賀の礼拝を行い 在りし日の親王を偲ぶ「御朝拝式」のことを知った時は、川上村の方たちの心根に涙が出そうになりました。
「御朝拝式」については、川上村のHPに詳しいです。(来年で560回め、開始以来絶えることなく続けてこられたこともすごいです。)

落ちのびて来られた方を親身に受け入れ、また再生を果たす。吉野は望みを捨てなかったところである。望みを果たせた人も、果たせなかった人も、それを語りつぎ祈りついで伝えてきたところが吉野や奥大和なのだと、最後に岡本先生が締めくくられました。
第三部:フリートーク テーマ「祈り」
登壇されたのは、金峯山寺管領・五條良知師、奈良県観光局理事・中西康博氏、岡本先生、原アナウンサーの4名の方。
まず先日11月12日から13日にかけての26時間、金峯山寺にて五條管領自ら奉修されました「八千枚大護摩供」についてのお話。
その行を撮影された保山さんの映像も圧巻で、五條管領がお話しされたことの意味が映像からも伝わり、手に汗を握りながら観させていただきました。
100日前から精進潔斎に入り直前には五穀と塩を断ち、行中は飲まず食わずの一昼夜。自分の身体が自分でなくなるような、十数キロも体重が落ち、背筋腹筋もなくなり背骨だけで身体を支えるようになってくることや、それでいて、護摩木に書かれた人の名前や祈りの言葉もクリアに見え、熱さも感じず、最後は護摩供をさせていただけることに法悦を感じるようになったという五條管領のお話はすごかったです。
今回のシンポジウムは、首都圏で開催された時には奈良県への集客も目的の一つとなり、またこの度の奈良での開催では、奈良県民自身が奈良の素晴らしさ魅力を知って誇りを持とうという意味合いもあったと思います。
そういう実質的なことも、奈良にある目にみえないものへの祈りの心や、吉野に再生の力を見た保山さんの映像が最初にある、ということが大きな一歩だったと思います。
写真↑は終了間際に保山さんへの感謝を伝える皆様。
たくさんのことを感じさせていただけた意義ある時間でした。
どうもありがとうございました。
シンポジウムが終わって、それぞれに感じたことを胸に帰途につく人達。暮れていく空の美しさが心に刻まれました。

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さて、ブログ記事が長くなって読みにくいかもしれませんが、途中からメモを取った、気になることを記しておきますので、興味のある方は「続きを読む」からどうぞ。
※山伏についての補足追記あり


・ナメゴ谷の原生林は祈りの聖地
(保山さん撮影の映像をパソコンから写したものですが↑)
昨年、保山さんが BS-TBS「美しい日本に出会う旅」でナメゴ谷を撮影されてから、ナメゴ谷は有名となり、また、針葉樹の山の中の尾根部分にだけ広葉樹があるため紅葉の季節には、ネットや観光情報誌などで写真が紹介されるようになりました。
それに伴い、この尾根部分だけに広葉樹が植えられていることについて、山火事で山頂への延焼を防ぐため尾根部分に水分の多い常緑広葉樹を植えて防火林としたためだというような一説も広まっていますが、そうではなく、この件に関して、 岡本先生と櫻本坊の巽ご住職のお二人がお話して下さったことは・・・尾根筋は修験道にとって聖地であり、尾根の樹木は手つかずの原生林であること。尾根以外には杉などの針葉樹を後年に植林したことなど・・・この風景の奥に見える歴史と信仰を教えていただきました。
そして、ここでちょっと閑話休題。
岡本先生「この行中に尿意便意を催した場合はどうしはりますの?」
巽ご住職「小は一町(約100m)下へ、大は八町(800m)下へ降りて、ご真言を唱えてから致します」・・・というようなやりとりもあり。

・岡本先生より、祈りの語源は「忌み宣るいみのる
忌みとは精進潔斎をすること。忌むことがないと祈りではない。宣るというお願いだけでは祈りではない・・・というようなことを教えていただきました。

・巽ご住職も五條管領も修験道の行者として「山伏は山に入らせていただき、神や仏を感じ、祈らせてもらうのだ」という考え方。決して達成感を得るために山に登っているのではない。
大峰山の中で聖地と伝わる場所が今ではわからなくなっているが、聖地はその場所に行かなくても、目に見えないものに祈ることが大切。
<<追記>>
・岡本先生より
現代の人々は自分の為にスポーツをします。山伏は人の為を祈って山に分け入る事。加えてその服装は直垂という正装で聖地に入らせて頂く事。
この二点は、先生がお伝えしたかった大事なことで追記いたしました。

・岡本先生より「南都の悲願」という言葉がある。
これはどういうことかと言うと、神や仏に最高の礼を尽くした時代に戻すということ。神仏に最高の礼を尽くす、神仏に感謝の祈りを捧げるということは、人間が幸せでないとできないこと。
奈良は何もかもが途絶えないで、生きている人が生きている人に伝えてきたところであり、日本の権威の場所、日本の誇りを取り戻すところである。
神仏の周りにあるものは途絶えない。日本人が失ったものが奈良にはある。 一度、原点に返ることが大切である。原点に戻らないと見えないものがある。・・・等々。

・保山さんの映像は第一部の映像詩だけでなく、金峯山寺の「八千枚大護摩供」の様子や、如意輪寺での後醍醐天皇「正辰祭」の様子(画面に何度か自分の姿を発見していました^^) 、また川上村の水源や豊かな川の流れなど、6月に上映されて以降の奥大和の自然や祈りの風景が上映されて、シンポジウムの内容がより濃密に仕上がっていました。
こうした映像作品は、50日以上も現地に足を運んで作り上げていかれたものだそうです。時間と手間をかけ妥協を許さず、それゆえにたくさんの人が感動されたのだと思います。
個人的にはエンドロールにクレジットも入って光栄なことでした。
どうもありがとうございました。