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2018年10月12日金曜日

興福寺中金堂再建落慶結願法要

興福寺中金堂落慶法要の結願に参列させていただきました。
ご縁をいただき、奈良の歴史に残る節目に立ち会わせていただけたことに大いに感動し、感謝の気持ちでいっぱいです。
結願法要の始まる10分ほど前に、朝から降り続いていた雨がやみ、法要を厳修されている間はお天気がもってくれていたことにも、天が喜び祝福して下さっているような不思議な感動を覚えました。
そして、法要の最後にご挨拶された多川貫首のお話にも感動いたしました。お話のさなかに、屋根に残った散華がひらひらと舞っていく様子も心に残る光景でした。
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平城京遷都と同時に創建された興福寺。
その4年後にできた中金堂は1300年の長い歴史の中で、7回焼失し、その都度再建されてきましたが、江戸時代1717年の火災以降再建かなわず、その後、明治以降の廃仏毀釈などで、興福寺境内がどこか雑然とした公園的形状のまま放置されてきたという歴史を持ちます。
平成元年に就任した多川貫首が再建を発願し、
平成22年(2010年)の創建1300年の年を中心に、その前後各10年の20年間を「創建1300年記念事業期間」と位置付け、18世紀に焼失したままになっている中金堂の天平様式・天平規模での再建と、明治以来あまりにも公園的形状になりすぎている境内の史跡整備「天平の文化空間の再構成」を進めてこられました。

多川貫首のご挨拶の中で、この「雑然とした植栽がおこなわれ、公園的形状の境内」を、会津八一は「春来ぬと今かもろ人行き帰り仏の庭に花咲くらしも」と「仏の庭」と言い表し、また、ある有識者には「興福寺には祈りの動線がない」と言われたことがあったと。そもそも「祈りの動線がない」以前の、祈りの中心そのものが無かったことに気づき、それがようやくここに再現でき感慨無量とお話されていました。
その意味では、中金堂再建が結果でなく、「信仰の動線」ということで、また新たなスタートとなる。南大門や回廊など、失われた宗教施設の再建、境内の史跡整備を継続していきたいとお話されていました。
中でも、印象的だったのは「中金堂は興福寺の祈りの中心になります。昨今は念仏より行動という風潮がありますが、祈りも行動、祈りこそ行動と申し上げたい」「神仏という人間を越えたものに真摯な祈りをささげてほしい。」とおっしゃったこと。

・・・正直申し上げて、東大寺さんのお膝元で東大寺ばかりを見てまいりましたので、個人的には興福寺さんにあまり目を向けておりませんでした。
今回、ご縁をいただいて落慶法要や慶讃奉納行事に参列させていただける機会を得て、多川貫首のお話を伺い、落慶法要でいただいた冊子に目を通し、自分の学の浅さを恥じる次第でした。それゆえ、このような行事に参加でき、本当に有難いことでした。ありがとうございました。

新聞各社の中金堂落慶法要関連記事のリンクも貼っておきます。

朝日新聞デジタル
「七転び八起き」8度目の再建 興福寺中金堂 
興福寺の「中金堂」301年ぶり再建 落慶法要に3千人 
読売新聞 悲願の中金堂 新たな宝 
産経新聞 興福寺中金堂落慶法要「七転び八起き」盛大に祝う