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2011年12月9日金曜日

春日大社で講座〜その①「重森三玲の庭」



春日大社の講座「磐座と重森三玲の庭園」に参加しました。
講座の内容を①と②に分けて記録しておこうと思います。
(以下長文です。自分用メモとして記していますので適当に読み流して下さい。)

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重森三玲の名前を知ったのは数年程前のこと。そして
その昭和モダンなデザインを知って、いっぺんにファンになり
東福寺まで足を運んだ記憶があります。
(その頃はまだブログをしていなかったのですが、写真はこちらに掲載しています。)

その後、高野山で宿泊する時も三玲の庭がある宿坊を選んだり
春日大社にも庭園があることを知ってからは、いつか機会があれば見学会に申し込もうと思っておりました。

今回の講座で解説をして下さった春日大社の秋田主事も
数年前の重森三玲ブームの時にファンになられた方。
あちこちの三玲作庭の庭園を見学に行きながら
まさかご自分の春日大社に三玲の庭があるとは知らず
灯台下暗しとはこのことだとおっしゃってました。

平成20年秋に天皇皇后両陛下を春日大社にお迎えする際に
御休憩所となる貴賓館を修復されました。その時
これまであまり注目されていなくて、当初の姿が失われていた
貴賓館東面と北面にある三玲作の二つの庭園も修復され
その後、一年に一度一般公開されることになったという経緯です。

今回はその3度目の公開で、見学を前に秋田主事から
庭に配置された石や木の持つ意味やデザインのテーマなどを解説していただきました。

貴賓館にある二つの庭の呼び名は
「三方正面七五三磐境の庭さんぽうしょうめん しちごさん いわさかのにわ」(昭和9年)
「稲妻形遣水の庭いなづまがたやりみずのにわ」(昭和12年)

まず驚いたのは、ほとんど無名の37歳の三玲に作庭依頼をされた
当時の江見宮司の、既存の価値観にとらわれない進取の気風です。
最初の庭園「三方正面七五三磐境の庭」は何と4作目の作品なのです。
(彼は生涯200近くの庭園を造っている)

春日大社からの作庭依頼に対して、三玲も
磐座いわくらや磐境いわさかなどの古代信仰を背景にした石組を設計します。

「三方正面七五三磐境の庭」はその名前の通り
庭を囲む三方どこからでも鑑賞でき、注連縄(七五三縄)にちなんだ
7、5、3個の各石組がどの方向からも見えるように配置されています。
特に中央の5つの石組は、本社の御祭神4柱と若宮さん合わせた5柱を意味したり、摂社の5社を表現したり、末社の名前と縁のある名前の樹木(杉や榊など)を配したりと、石や木にいろんな意味を込めて春日大社に敬意を払って作られています。・・・こういうことも事前に詳しい解説を教わったからこそですね。多分普通に見学していては何もわからなかったと思います。

ところで、三玲が昭和9年春にこの庭を完成させた同じ年の夏に室戸台風が起こり、台風で庭園が壊滅したところもあったことから危機感を抱いて、私費で、日本中の名園の実測に取りかかります。このことが今後の三玲の作庭に大きな影響を与えることになるのですが、その後に作られた「稲妻形遣水の庭」は前作よりも、よりモダンにシャープに洗練されています。

こちらでも庭に面する建物が寝殿造りであったことから
中世の伝統「遣水」を取り入れることにするのですが
デザインを曲線ではなく、直線的な稲妻形にしたところが斬新です。
稲妻形は本社第一殿の御祭神「武雷命」に由来したり・・・と
デザインに、神々に敬意を払ったテーマを盛り込み
超自然でモダンな中に、基本の伝統と古典様式を尊重していて
すごいなぁと感心致しました。
(この感想が12/7の読売新聞朝刊奈良版に取材を受けて掲載されております^^)


それにしても・・・長い間荒れ果てたままだったという三玲の庭。
ふとしたきっかけで、こうして復元できてよかったことです。
一年に一度の特別公開、来年は11月初旬に公開予定だそうですよ。

庭園の写真撮影はOKでしたが、個人の楽しみに留めておいて下さいということでしたので、ブログ掲載は控えておきます。トップの画像は貴賓館の外観(大正15年建立)です。

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三玲が石組に取り入れた、古代信仰の神の依りしろである「磐座いわくら」や「磐境いわさか」。庭園見学後は春日大社境内のあちこちにある「磐座」を神主さんと一緒に巡りました。こちらの様子は、その②へ続きます。