私達は、正式参拝のためのドレスコードのあるところ・・・
「七支刀(しちしとう)」拝観のために石上神宮へと向かいます。
平城遷都1300年を記念して、約1650年の間、石上神宮の神庫で
大切に守り伝えられてきたご神宝の国宝「七支刀」が特別に公開される
・・ということで、早々に申し込みをして下さった相方さん。
(※拝観は事前申し込み制で、もう締め切られています。)
「七支刀」の長さは約75cm。
剣身の両側に互い違いに三本ずつ(計6本)枝刃が出た特異な形で
中心の刃も入れて七つ。「七支刀」の名前の由来もこれによります。
剣の両面には金象嵌の銘文が刻まれているのですが・・・。
←「七支刀」(天理市HPより)
この銘文を最初に発見したのは明治7年に大宮司として赴任された
菅政友によってでした。
( 七支刀の錆を落とそうと小刀で錆を削ったら出てきたそうです)
表:「奏和四年□月十六日丙午正陽造百練釦七支刀□辟百兵冝供供侯王□□□□作」
解説:泰和四年正(或は四か五か)月十一(或は六か)日の淳陽日中の時に百錬の鉄の七支(枝)刀を作る。以って百兵を辟除し、侯王の供用とするに宜しく、吉祥であり、某(或は某所)これを作る。
裏:「先世以来未有此刀百済口世□寄生聖音故為倭王旨造□□□世」
解説:先世以来未だ見なかったこのような刀を、百済王と太子とは生を御恩に依倚しているが故に、倭王の上旨によって造る。永く後の世に伝わるであろう。
『日本書紀』によれば、神功皇后五十二年秋 九月の条に百済(くだら)の肖古王(近肖古王)の使者が七枝刀一口、七子鏡一面を献じたという記事があり、七枝刀が七支刀に相当するものと考えられています。
銘文の解釈・判読を巡っては論争が続いていますが
西暦369年に朝鮮半島の百済国で制作されたと確認されています。
また日本書紀には同時期に百済が朝貢に訪れ
七支刀を献上したと記されています。
石上神宮は、天皇に仕える軍事担当の豪族物部氏の総氏神として繁栄し
大和朝廷の武器庫としての役割も担っていたために
「七支刀」のような重要な武具が保管されていたのでしょう。
・・・と、このようなことを、集合の後、拝殿にて公式参拝をして石上神宮は、天皇に仕える軍事担当の豪族物部氏の総氏神として繁栄し
大和朝廷の武器庫としての役割も担っていたために
「七支刀」のような重要な武具が保管されていたのでしょう。
「七支刀」特別拝観までの間に、ボランティアガイドの方から
説明をしていただきます。
そしていよいよ、長生殿にて「七支刀」を拝観します。
銘文は身の刃沿いに金象嵌された二本の条線の郭内に収まって
判読できる字もあれば、全く判読不明の文字もあります。
枝刀にも、一条の金象嵌が施されていて
この金が369年に作られた時のままのものだと思うと
何ともいえない感じがしました。
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石上神宮の拝殿は鎌倉時代に建てられ国宝です。
歴史的な風格漂う楼門(重文)かっこいい建築です。
こちらは、楼門から一段高い土地にある「摂社出雲建雄神社拝殿」
廃仏毀釈の時期に廃寺になった「内山永久寺」から移築されたもので
国宝です。
遷都1300年記念に作られた七支刀がデザインされたお守り♪
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それにしても・・・1300年どころではない
1650年も前の七支刀を特別拝観できたことなど
今年の奈良の「祈りの回廊〜秘宝秘仏特別開帳」はすごい充実度!
こういう機会に奈良に居ることの幸せをかみしめて
できるだけ時間を作って巡ってみたいと思っています。