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2015年5月16日土曜日

奈良県立美術館「奈良礼賛~岡倉天心、フェノロサが愛した近代美術と奈良の美」展

奈良県立美術館で開催中の特別展「奈良礼賛~岡倉天心、フェノロサが愛した近代美術と奈良の美」展に行ってきました。
正倉院宝物や仏像彫刻など今日では文化財の宝庫として知られる奈良県ですが、このようなイメージが形作られたのは明治時代のことでした。
廃仏毀釈の風潮や欧化政策の影響により、寺社などの伝来品が相次いで流失した明治初頭、窮状を危惧した政府はこれら宝物類の調査に乗り出しました。中でも、奈良を訪れたアーネスト・フェノロサと岡倉天心は、飛鳥・天平仏に深い感動を覚え、この邂逅を「一生の最快事なり」と語ったように、奈良での美の発見は、近代日本美術の牽引役を務めた二人の原動力ともなったのでした。(奈良県美HPより抜粋)

古都奈良の文化財の価値を再発見し、近代日本美術の牽引役を務めたフェノロサと天心。この展覧会では、二人と関係が深い狩野芳崖や横山大観、下村観山、菱田春草らによる、奈良の歴史や文化財に着想を得た日本画、彫刻、美術工芸品などが一堂に展示されています。
近代美術の原点ともなった”奈良の美”・・・
私の奈良愛をくすぐるような「奈良礼賛」なんて展覧会名に「名前負けしないでよ」と素直に喜ぶこともせずに観に行ったのですが・・・。
いや〜、よかったです!
もっともっと奈良礼賛しないと!と強く思ったいい展覧会でした。

中でも特に私の印象に残ったのは意外にも「模造彫刻」!
展示されている模造彫刻は、東大寺戒壇院の「広目天立像」・興福寺北円堂の「世親立像」・薬師寺東院堂の「聖観音立像」などで、これらは天心による「明治の仏像模造制作事業」の一環として制作された模造品であるのですが、それが単なる精密な模造品ではなく、そこに深い信仰の表われである造形精神の真髄を表現したような芸術性を感じたのです。

奈良のお寺の仏さまには普段から当たり前のように接している自分が、まさか模造品に感動するとは意外なことでしたが、これはきっと制作者がその仏さまに対峙した時に、あまりの崇高な美しさに抱いた感動や畏れ、祈りの心が映し出されているのでは・・と思いました。
それで、明治の模造彫刻について調べているうちに、「広目天立像」を制作された竹内久一について書かれたこのページ
この中に書かれている文章ですが・・・

竹内の回顧によると、「明治13年(1880)に至り、観古美術会の古美術展に出品された奈良興福寺の古像を観て、大いに感じるところがあり、これに魅せられて木彫に転じた」といいます。
竹内は、これを契機に、奈良へ赴き、奈良の仏像彫刻の彫刻・彩色技法を学びたいと願望します。
竹内自身は、この時の心境などを、自らの回顧談「木彫を志せる動機と奈良行きの顛末」において、このように語っています。
「それ(明治13年の観古美術会)には、日本全国の古美術品が出品されていて、奈良からも多数の名作が出陳されていた。
それを見物に行った私は驚いてしまった。
ただもう目の覚めるような、今までコセコセした牙彫をしていた眼には実にただ眩惑されるのみであった。
私は、上野でそれを見た以来、恋々として奈良を去らなかった。
矢も楯もたまらず、奈良へ行きたい、奈良へ行きたい!と憧れていた。
ひとつ、おれが木彫を再興してやろう。」
このような心境となり、明治15年(1882)10月、竹内久一は奈良に向けて出発します。竹内、30歳のことでした。

後年「模造は、あくまで技量修行、研鑽のひとつの手段」として、独自の創作彫刻の世界に転じた竹内久一ですが、30歳の時に初めて見た奈良の仏像から得たものが、どのようなものだったかを物語るエピソード。
これを読んで、私の中の「奈良礼賛」が益々「どや顔」しだしていますよ(笑)。

「模造彫刻」についての感想が長くなってしまいましたが
その他にも見応えのある作品、みどころもいっぱいの展覧会でした。
会期は5/24(日)まで。是非ご覧下さいませ!

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会場のグッズ販売コーナーに散華のコーナーがありました。
今回、奈良県立美術館の館蔵品をうつした散華も新しいグッズとして販売されています。(18種・1枚200円)↓

散華の原画↓や奈良県内の寺社の散華巡りのマップや、東大寺の「光明皇后1250年御遠忌」の散華の様子など↑の展示とか
散華美術保存会の岡村会長のコレクションなど↓もあり
最後にまた楽しませていただきました。