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2018年2月11日日曜日

入江泰吉旧居で野村輝男さんのお話を聞く

修二会が始まる少し前に、入江泰吉旧居で開催される修二会シリーズ。
2月11日は、童子を長く務めてこられた野村輝男さんのお話でした。
この2枚の写真↑↓は、2012年の修二会で参籠50回目となる年のお松明を担ぐ野村さんです。(ブログ過去記事はこちら
その後、童子としては参籠53回で2015年に卒業され、現在は東大寺図書館の職員の肩書で東大寺に奉職されていらっしゃいます。
長い間、童子として修二会を裏から支えてこられた野村さんの、時にはユーモアを交えて、時には滅多に聞けない裏話的なお話も交えて、童子の仕事についてのあれこれをお聞きしました。
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まずは、19年前に放映されたテレビ番組のDVDを見ながら、童子の仕事について、司会進行役の倉橋みどりさんが色々お尋ねして、それに答えて下さるという流れで、お話が進みました。
以下、メモしたことをアトランダムに書き留めておきます。
(長文になってますので「続きを読む」からどうぞ)



童子の一番の仕事は、自分が担ぐ松明を作ること。「間あいの松明」(12日の籠松明以外の松明のこと)は、毎朝6時から8時の間にその日に担ぐ松明を作る。
本行が始まる前から(2月の中頃から)は、間の松明の竹の空洞に細い竹、また細い竹と入れていって「入れこ」にしておく。
別火が始まる前には、タロの木で椿の造花の芯つくりや、松明の竹で花活けを作ったりしておく。
間の松明の他に、1日から8日までは籠松明の部品つくり、達陀松明は9日の9時からその日のうちに作る・・・など、いつに何を作るか決まっているのだが、マニュアルや書いたものはなく全て口伝である。
その他の松明・・・水取りの時の 咒師松明は 咒師の童子が作る。(咒師松明を作るのは非常に難しいらしいです)
三役が使う松明は湯屋童子が作る。
どの練行衆に付くかの配役は12/16の一週間後くらいに、小綱が決める。野村さんは咒師の童子を1回(昭和54年に)、和上の童子を6回されたそうです。
最初に参籠したのは高2の17歳の年。加供奉行を9年勤めて10年目に童子になり、童子3年目で童子頭となった。(童子頭を28回勤める。)
昔は、農業をしながら暇な冬に東大寺に雇ってもらって童子をするというようだったが、今は、寺の職員として童子もお寺に常駐している。
野村さんが童子として長く続けてこられたのは、ひとえに「松明が好き」という気持ちが一番大きいのだけれど、お寺に勤めさせてもらっていたというのも大きな要因である。
12日の籠松明は重さ約70kgもあり、ベテランになっても緊張する。加供さんに「てる丸~」と名前を呼ばれるまで緊張するが、階段を上りだしたら気合とコツで、登り切ったら一安心。
達陀松明を作るのもかなり難しい仕事で、結ぶときに使う藤蔓は身を見せてはダメで、皮を見せて男結びで結ぶのだそうですが、これがかなり時間がかかるそうです。
行中の一日の仕事としては、松明つくりの他に、朝9時に茶粥(ゴボゥ)の湯を沸かし、茶袋を釜に入れて夜11時頃まで煮る。長時間煮ることでお茶の渋みが抜けて、いい塩梅になる。
朝ごはんは食べず、練行衆の日中上堂の後にお昼ご飯を10分ほどの早食いで食べる。お風呂は、初夜上堂松明の前に入る。お松明の後はしばらく仮眠。練行衆下堂前にゴボゥを作っておかなければならず、「カンバン」という当番制で、毎日一人が初夜上堂からずっと二月堂で番をして、下堂のタイミングを知らせることになっている。
行中に一回は当番をする「カンバン」は大変だが、処世界童子はもっとたいへん。(処世界部屋の様子も教えていただく)
お松明の時の見学者の歓声は、最初の1~2年は緊張で聞こえなかったが、何年かしたら聞こえるようになった。
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野村さんは現在74歳。2015年、参籠53回で童子を卒業されました。
60代に入ってからはダンベルで腕を鍛えたり(最初は50回だったのが毎日続けて2か月で400回持ち上げられるようになるそうです。)健康にも気をつけて長く続けてこられたのですが、卒業の年、1日の上堂松明のあと足に違和感を感じたため、最後の14日の松明だけ担ぎ、その間は若い人に担いでもらっていたので、最後の年の達成感は50%だそう。
野村さん曰く「引退ではなく卒業や」・・・つまり、引退だともう戻れないが卒業だと上の学校に行けるので、また戻れるかもしれないということから。(では「またいつかお松明を担がれることがあるかもしれない?」の質問には「いや、もうそれはさすがにないけどな」)
野村さんが松明を担ぐときの美学は、正面で一回ふること。
午前中の二月堂下で、野村さんをお見かけして、何かオーラがあるというか凛とした佇まいを感じる方だと思っていましたので、こだわりの美学をお持ちのことに納得でした。
そして、童子を卒業されたからといって、二月堂にいらっしゃらないかといえばそうでなく、毎日「警備で行かしてもらっている」と笑ってらっしゃいました。
楽しくも貴重なお話をどうもありがとうございました。
参考までに、籠松明の部品つくりの過去記事はこちら