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2018年12月14日金曜日

「お坊さんと読む日本霊異記」vol2

「ことのまあかり」さんで開催の、薬師寺僧侶・喜光寺副住職の高次喜勝さんによる シリーズ「お坊さんと読む日本霊異記」。第2回目は、東大寺の初代別当良弁ろうべん僧正と執金剛神像についてのお話でした。
まもなく12/16は東大寺の良弁忌で、一年に一度その日だけ秘仏の良弁僧上坐像と執金剛神像がご開帳されますので、直前に勉強させていただこうと参加致しました。
(画像はツイッターのヒースさんよりお借りしました)
ところで、『日本霊異記』とは如何なるものなのでしょうか?正式名称は『日本国現報善悪霊異記』といい、平安時代初期に書かれた最古の仏教説話集だそうです。雄略天皇の時代から平安初期まで善悪の行いが仏力によって現実に報われたことを語る説話が合計116話、収められているのだそうで、その書物の名前は聞いたことがあっても、恥ずかしながら中身については全く知らなかったので、一から勉強することがとても新鮮でした。

『日本霊異記』の著者は薬師寺の僧・景戒さん。
「ことのまあかり」さんでは、景戒と同じ薬師寺僧侶の高次喜勝師に『日本霊異記』についてのお話をシリーズでお願いして、今回は第二回目でした。(ちなみに一回目は「行基菩薩」について、3回目は3/8に「日本霊異記と悔過」が開催されます。)
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さて、良弁さんといえば、赤ん坊の時に鷲にさらわれて東大寺二月堂の大きな杉の木におろされたという「良弁杉」のお話があまりにも有名ですよね。
二月堂の手水舎西面にも、赤ん坊の良弁さんが鷲にさらわれるところの様子が彫刻されていますね。
ただ良弁さんの前半生については史料がなく、鷲にさらわれて二月堂下の杉の木に落とされて・・・の伝承(いわゆる「良弁伝説」)は、明治20年初演の浄瑠璃「良弁杉由来」から一躍有名になったようです。
良弁さんの伝記史料では「続日本紀」には卒伝なし。「東大寺要録」(1134年)には、『昔嬰児の時、坂東に鷲鳥の為に取られ行方を知らず。これによって父母大いに歎き諸国を流浪す。しかるに件の児は山城国多賀辺に落とされ、彼の郷の人これを取って養育す。漸うに以て成長す。即ち根本僧正(良弁)これなり。』という記述があり、これが拠り所となっている。
「良弁伝説」の源流は、平安時代初期に書かれた『日本霊異記』上巻と中巻に載っている二つの物語(鷲にさらわれた女児の話と、金鷲こんす行者の話)から出自を取ったのではということで、『日本霊異記』のその部分を読んでくださいました。
特に、金鷲こんす行者の話が興味深かったので、以下に記します。

奈良の都の東の山に一つの寺があった。名を金鷲こんすといった。金鷲優婆塞こんすうばそくがこの寺に住んでいた。だから寺の名をとって金鷲を通り名として用いた。それが今の東大寺となったのである。さて、まだ東大寺を造らなかった時の聖武天皇の御代に、金鷲が行者としていつもこの寺に住んで、仏道を修行していた。その山寺に一つの執金剛神の土像が安置してあった。行者はその神像のはぎに縄をかけて引き結び、神像に祈願をこめて、昼も夜も礼拝を休まなかった。時に神像のはぎから光を放って、光は皇居に達した。天皇は驚き怪しまれ、使いを遣わして様子を見に行かせた。勅使は光の出所を尋ねて寺に着いた。見ると一人の優婆塞がいた。神像のふくらはぎにかけた縄を引いて礼拝し、罪の懺悔をしていた。勅使はこれを見て、急いでもどり、事情を申し上げた。そこで天皇は行者を召して・・・・・中略・・・・・当時の人びとも彼の行いをほめたたえて、金鷲菩薩とあがめた。あの光を放った執金剛神の像は、今も東大寺の羂索堂の北の入り口に立っている。

ということで、執金剛神と良弁僧正の関係などをお聞きしましたが、千年以上も前の書物にある神像が今もそこにあるという事柄に少し感動いたしました。
ちなみに、今年の7月に東大寺本坊で開催された三好和義先生の写真展には御御簾から出られた執金剛神立像の姿が発表されていました。天平時代の彩色が色鮮やかに残って素晴らしかったです。(過去ブログにその写真も載せています→

最後は不空羂索観音と執金剛神についての考察でした。
良弁僧正は古密教にも関心が強かったと伝えられています。
古密教とは、弘法大師以前の密教で、特定の仏さまを称えず、変化観音を称える。呪術性を持つ・・・という特徴があるそうです。
不空羂索観音像は一面八臂の変化観音像で、執金剛神とおそらく同じ時期に造られたのではないか?両面をなすものなのでは?と考察されていました。(「不空羂索神変真言経」や「妙法蓮華経」などから「不空羂索観音=執金剛神」という意識なのでは?ということです。)

また法華堂の八角須弥壇の配置から、創建当時は、執金剛神が、戒壇院四天王像、日光月光菩薩像とともに、本尊不空羂索観音の八角基壇上に祀られていたということです。

・・・・などなど、当日12/7の講座を思い出しながら書き記しました。
ここに書いている事が全てではなく抜け落ちている部分もあり、ひょっとして勘違いして理解している所もあるかもしれませんが、どうぞご了解ください。
そして、一年に一度12月16日は東大寺法華堂・開山堂へ是非!

余談ですが、良弁杉は二月堂をセットにして写真に撮られますが、良弁さんという関係で言えば、良弁杉と法華堂をセットにして撮らなければいけないそうです。16日にはそのショットを撮ってみたいと思います。