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2013年12月18日水曜日

春日若宮おん祭2013*「お渡り式」と「南大門交名の儀」

お旅所の御假殿にいらっしゃる若宮様のもとへ
芸能集団や祭礼に加わる人々が社参する「お渡り式」。
昨年はこのお渡り式の中の「松の下式」を中心に見学しました。
今年は「南大門交名の儀」を見学することにして
午前中の仕事を終えたあと県庁前まで急ぎました。
登大路沿道にはびっしりの人人人。行列が途切れるまで道路の向こうに渡ることはできません。 12:30頃、大和士一行が出発したところで興福寺の方へ渡って三条通りまで。12:00に県庁前広場を出発したお渡りの先頭は、まだこちらへ来られていませんでした。
三条通りもびっしりの人人人です。

三条通りに面した興福寺南大門跡には僧兵姿の衆徒が勢揃い。
「南大門交名の儀」は、おん祭が興福寺の全面支援で行なわれてきたという歴史的事実から 、祭礼の主催権を持つ興福寺への敬意を表し
またお渡り式に不備がないかをあらためるために行なわれます。

そうこう待つ間にお渡り式の先頭集団がやってきました。








さて、お渡り式参列の全員が南大門跡で交名の儀をするのではなく
名乗りをするのは限られた集団だけでした。
まず最初に「十列児とおつらのちご」4名と「日使ひのつかい」、お供の「陪従べいじゅう」2名が馬上からご挨拶。

続く「神子」達はそのまま前を素通りして進みます。
「細男せいのお」一座は馬上で袖の拝をされました。
「猿楽座」一行も一同揃って一礼。

その後に続く「田楽座」も一礼されます。

「馬長児ばちょうのちご」は山鳥の尾のついたひで笠をかぶり、うしろには五色の短冊をつけた笹竹を持つ従者。

「馬長児ばちょうのちご」は、もとは興福寺学侶が稚児をだしていたことから、「南大門交名の儀」ではお伴の大童子が僧位僧官を名乗ります。

「競馬」もかつては興福寺から出されていたので
「○○法印(又は法眼)御馬候」などと名乗るそうです。
 その後、しばらくは交名の儀をされる集団はなく・・・
「流鏑馬」

「将馬いさせうま
「野太刀」

「大和士やまとざむらい」は御師役が懐中している交名を読み上げます。読み違いや不作法があると、再度引き戻してやり直させるという故実もあるそうです。


「大和士」の衣装、間近に見て素敵でした^^
おん祭には約50頭の馬が奉仕されていて、間近に目の前を通り過ぎる馬たちの意外な大きさにびっくりしたり、行列の最後はお馬さん達の落とし物をお掃除して行かれました。
この後に「大名行列」続くのですが、ちょっと間が空きます。

その間に猿沢池の周りに並ぶ屋台や露店をひやかしにおりました。
余談ですが・・奈良まで車で15分のところの京都府民だった私も、子供の時に何度か「おん祭」に連れてきてもらってました。でも「おん祭」といっても、子供の時はこの露店がお祭りだと思っていましたし、お渡りを見るのはそのついでのような感覚でした。
おん祭の日は、2時間で下校の奈良市内の小学校。
子供達が小学校の時にもよく猿沢池の露店に連れてきたものです。
その時も、お渡りは視界の端っこにちらりと見る程度で
昨年の「松の下式」今年の「南大門交名の儀」と、こんな風に熱心にお渡り式を見学したのは初めてかもしれません。
この後、中々現れない「大名行列」を見ることなく
チェックイン時間までに仕事に戻るべく、三条通りを後にしました。

帰宅途中の興福寺境内で。
「お渡り式」の一行はお旅所に入られたのですね。
各集団の幟を持った人たちが
役目を終えて大宿所の方へ戻って来られるところでした。

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猿沢池の周りの賑わいがおん祭の楽しみであった子供時代でしたが
華やかで風流な「お渡り式」や、神秘的で神々しい神事である「遷幸の儀」など、奈良に住むようになってから、年々少しずつ「おん祭」の奥深さに触れる機会を得て、また来年も再来年も、少しずつ違った場面を拝見してしてみたいと思った次第です。