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2014年7月18日金曜日

紀伊半島ぐるっと半周と熊野詣

宿のある尾鷲の賀田が、熊野古道「伊勢路 」ルートの「曽根次郎坂太郎坂コース」の登り口に位置していたこともあり、帰りは紀伊半島の海沿いを通りながら、途中で「熊野速玉大社」と「熊野那智大社」にお詣りすることにしました。
出発してすぐに熊野市(三重県)に入って、神武天皇上陸の地と伝えられている「楯ヶ崎」方面を望むところ↑を通過しました。
その後、日本書紀に「国産みの舞台」として登場する日本最古の神社「花の窟」も通過し、約2時間ほど車で走ると、和歌山県新宮市へ。「熊野速玉大社」に到着です。

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「熊野速玉大社」と言えば、春に大阪市立美術館で開催された「山の神仏〜吉野・熊野・高野」展に出陳されていた御神像「熊野速玉大神坐像」の圧倒的な存在感が思い出されます。展覧会では「熊野三山」の位置関係もイマイチ理解できていませんでしたが、実際に訪れてみると、なるほどという感じです。
戸帳には、熊野大神のお使いである三本足の八咫烏が↓
境内には苔むす大木。

でも御神木はこのナギの木↓樹齢1000年以上とか。


すぐそばには佐藤春夫記念館もありました。

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次に向かった「熊野那智大社」 は車で小1時間程の距離でした。
私達が訪れた前日(7/14)が「那智の火祭」の日でした。

熊野那智大社でお祀りしている熊野の神々はもともと現在の那智の滝付近でお祀りされていたそうですが、その神々を今から約1700前に那智山中腹にお遷ししたのが熊野那智大社の始まりとされています。
「那智の火祭」とも呼ばれる例祭は、熊野の神々が一年に一度もともとお祀りされていた御滝本に里帰りをし、ご神威新たにする、という神事なのだそうです。
境内には樹齢800年の大楠がそびえたっています。
平重盛お手植えの大楠、根元の空洞から幹の中に入って、少し高い所の出口から出てくることができます。↓

その大楠の枝の伸びた先から見た熊野の山々。

神武天皇が熊野山中で道に迷われた時に、大和の国に入る道先案内をつとめたと言われている八咫烏は、こちらでも戸帳のデザインにあしらわれていました。
境内から見た那智の滝。


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熊野那智大社のすぐお隣が青岸渡寺でした。

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熊野三山のもう一カ所「熊野本宮大社」は紀伊半島の内陸に入って奈良県との県境に位置するため、今回は時間の関係でお詣りしませんでした。(夫は10年以上前に熊野古道・中辺路を歩いて参詣済みですが)
この後は和歌山県の海岸線沿いに紀伊半島をぐるっと周遊して和歌山市まで。走行距離も長くて長時間のドライブでしたが、車窓から見える海の色の美しかったこと。
最後は和歌山ラーメンの有名なお店に寄って帰途へとつきました。
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今年は「紀伊山地の霊場と参詣道」が 世界遺産登録されて10周年。
和歌山県・奈良県 ・三重県にまたがる3つの霊場(吉野・大峰、熊野三山、高野山)と参詣道(熊野参詣道、 大峯奥駈道、高野山町石道)。
今回は偶然にも、奈良県、三重県、和歌山県にまたがって旅することができました。「紀伊山地の霊場と参詣道」を深く知るほどの体験をした訳ではないですが、現地に行ってこそ何となく肌で感じるものもあり、さらっとゆるくでもこの世界の一端に触れることができたのではないかと思っています。
そして偶然にも4月には吉野、先月は高野山を訪ねていましたので、ほんのさわりでも3つの霊場巡りができたように思います。

参考までに「紀伊山地の霊場と参詣道 世界遺産登録10周年サイト」の
FBページはこちら/公式HPはこちらです。