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2016年8月7日日曜日

「奈良さらし-南都の名産ここにあり-」展

少し前ですが、奈良県立民俗博物館で開催中の特別展
「奈良さらし ー南都の名産ここにありー」に行ってきました。

かつて江戸時代には、南都随一の産業として地域経済を支えた奈良晒。
「麻の最上は南都なり」とも賞され、高級麻織物のブランドとして全国にその名を知られていました。
今回の展覧会では、これまで殆ど顧みられることのなかった奈良晒の「布」そのものに焦点をあて、麻織物文化の視点からアプローチをされた展示構成となっています。

そして、会期と会場も、前半(7/23~9/4:奈良県立民俗博物館)と
後半(10/1~12/12:名勝依水園・寧楽美術館)にわけての展示です。

まずは前半の奈良民博会場。ここでのテーマは「布に秘められた技」。
江戸時代~現在に至る奈良さらしの歴史、布の特色、紡織、晒しの技術について包括的に紹介がされています。
奈良民博の奥のコーナーが特別展の会場です。
会場内は撮影禁止ですが、申込みをすれば撮影許可がおります。
ブログ掲載も許可をいただきましたので、自分の記録用としても、写真と一緒に説明を書き綴っていきたいと思います。
(この日、たまたま学芸員の方に丁寧に説明をしていただけました。
浅い知識しか持ち合わせていず、ご教示いただいた内容をよく理解できないでいるところもありますが、にわか知識を得て、覚えていることや興味を持った点などを綴っていこうと思います。)

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以下、長文です。興味のあるかたは<<続きを読む>>からどうぞ++




会場の正面の展示コーナー↑。この左側の展示室がこちら↓で
技術伝承を担う「月ヶ瀬奈良晒保存会」の協力で、奈良晒の紡織技術について、詳しい内容の展示がされています。
向かって右側の展示室では、近世に四大麻布の産地として取り上げられた、越後・奈良・高宮(近江)・越中の上布と、奈良で織られた「奈良さらし布」が展示されています。
地域ごとの製法の違いで、全く違う表情を持つ布の様子を、残っている資料とともに紹介されていました。

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奈良晒の原料となる麻。
江戸時代の奈良さらしの特徴は苧麻ちょまが主原料だったこと。
大麻繊維に比べて腰の強い苧麻繊維はハリがあって、裃などに最適で、「着て身にまとわず」という着心地だったそうです。
(明治以降は苧麻が手に入りにくくなり、大麻になったそうです。)
また、奈良さらしの特徴として、縦糸には撚りをかけるが、横糸にはかけない「平布ひらふ」であったこと。撚りがかかっていないので、染料が染み込みやすく「染めて色よし」とも言われました。
「績み苧うみそ」とは紡いで糸になったもの。(麻は「紡ぐ」とは言わないで「績むうむ」と言うそうです)
「カセ」とは縦糸(径糸)のこと↑一反の織物を作るのに20カセ必要。
1cmに14羽の「竹筬たけおさ」 1㎝間隔に縦糸が28本の密度の布を織る筬。
麻の着物地のような細く繊細な糸を織るにはこの竹筬が欠かせないそうですが、現在これを製作できる職人はほとんどいなくなってしまったということです。
宝暦4年(1754)の「日本山海名物図会」には
「麻の最上は南都なり 近国よりその品種々出ずれども 染めて色よく 着て身にまとわず 汗をはじく故に 世に奈良晒とて重宝 するなり」と記され、その評判ぶりがうかがえます。

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縦糸の工程↑と、横糸の工程↓

「月ヶ瀬奈良晒保存会」による奈良晒の実演なども。

こちらは、ユネスコ無形文化遺産に登録されている「題目立だいもくたて」(奈良市上深川町の八柱神社に伝わる民俗芸能の語り物)の装束↑。
「月ヶ瀬奈良晒保存会」により提供されました。
(写真では伝わりにくいですが、実際に見ると大変美しい布地です)

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江戸時代には苧麻で作られていた奈良晒。
下の写真↓で、生平きびら(糊落としした布)の立てかけている方が苧麻繊維で作られたもの。透け感が美しいです。横にねかせているのが大麻で織られた奈良晒。比べてみると、繊維の持つ風合いの違いがよくわかります。

そして、この真っ白な美しい布↓が、伝統的な晒しの工法で晒された「奈良晒」。灰汁汁に漬けて煮詰め天日に干してを数度繰り返しての工程は、明治に入って科学染料などの台頭で一度途絶えてしまったのですが、保存会では江戸時代の文献をもとに、晒しの伝統技術の復活もなされました。
江戸時代の文献通りにすると、真っ白な奈良晒が復活したそうで、この技術を復活させた方が、奈良倶楽部通信でも何度かご紹介したことのある染色家の宮崎明子さんなのです!
(宮崎さんに関連するブログ内過去記事はこちら  

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最後に、四大麻布の産地として取り上げられた、越後・奈良・高宮(近江)・越中の上布と、奈良で織られた「奈良さらし布」の展示室を見てみましょう。

四大産地の上布が並べられて、その中でも、越後上布と奈良晒は同じ東北の苧麻を材料としていながら、製法や機材の違いで、出来上がった上布の風合いがかなり違うことがわかりました。
越後は撚りが強く、透け感のある布、縞や絣が傑出している。
奈良は撚りがかかっていないので、染めて色よいというのを実際に感じました。

以下、何点か奈良晒の着物でカッコいいと思ったものを写真で紹介↓
男性が小袖の上に羽織のように着用した十徳じっとく
女児振袖
江戸時代の火事装束↓↑

江戸時代の狂言袴↑

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もう一つ、奈良晒には、朱印が押されているという特徴があります。
なぜ朱印が押されるようになったのか?
これは、家康が決めたことで、天正年間(1573年~1592年)、清須美源四郎が晒法の改良に成功し、慶長年間(1596年~1615年)には徳川幕府から御用品指定され、布端に「南都改」の朱印が押されて生産されるようになったのです。

朱印に関する資料や端切れもたくさん展示されていました。
「なら町年寄」と御朱判↑
家康によって布の長幅丈尺が定められ、その定めに従って布端に「南都改」の朱印が押され、朱印のない晒の売買が禁止されました。
その後、明暦3年(1657年)には惣年寄による改印の制度が始まり、織初めに極印、織留に奈良町年寄の黒印のないものは晒すことを禁じられ、のち享和2年(1802年)には、晒し終えた布に対しても改めて「なら町年寄」の藍印を押すことを定めて、長幅の規定遵守を強化しました。
奈良晒の最上級品(いわゆる御召晒)の織端↑
1cmに縦糸34本横糸50本の極細の糸で織られたもので、縦糸横糸ともに撚りがほとんどないという、幕末期の奈良晒の技術水準の高さがうかがえる資料↑
御用札。これを掲げて幕府へと。
商家の主人が奉公人に支給した「お仕着せ」の端切れ↑
文化・文政期の奈良晒の織り方見本↑
幕末から明治にかけての夏物見本切本↑
この資料はちょっと面白いです。「奈良晒生布織場所之図」↑
地域によって織り出される布の質に上下があるとして、それぞれの価格の相場が記されています。西大寺村が突出し、周辺の疋田村・秋篠村・蓬莱村などがこれに続く上布の産地であったらしいです。

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奈良晒の上布を見ていると、つい欲しくなってしまうほどの美しい布で、展示品を通して勉強しながらも、目の保養もさせてもらった展覧会でした。

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「奈良さらし ー南都の名産ここにありー」

<<前半>>
会場: 奈良県立民俗博物館 大和郡山市矢田町545
日時: 2016年7月23日(土)~9月4日(日)月曜休館
時間: 9:00~17:00 (入館受付は16:30まで)


<<後半>>
会場: 名勝依水園・寧楽美術館
日時: 2016年10月1日(土)~12月12日(月)12月のみ火曜休館
時間: 9:00~16:30 (入館受付は16:00まで) 
◆テーマ「まぼろしの布をもとめて」
晒し場の旧跡であり、晒問屋の往時の繁栄を今に伝える奈良さらしゆかりの地で、近世~近代の奈良さらし布を一堂に展示。
◆展示構成
(1)押印布-近世上布の謎をとく鍵-
(2)糸からみた近世の上布
(3)奈良の近世麻織物 -新発見の布見本帳-

※ワークショップや特別講演会、実演と体験など、関連イベントも充実しています。すべて、先着制の事前申し込みが必要なものばかりです。詳しくはこちらをご覧ください。
また、「月ヶ瀬奈良晒保存会」についてはこちらこちらのサイトを参考にさせていただき、奈良晒については、自分の手持ち資料↓からの抜粋もしています。