県外読者の方も多いので、この5日間にふってわいた
「平城宮跡・第一次朝堂院の広場整備の工事」について
ブログでも少し触れてみたいと思います。
まず、2010年に開催された「遷都1300年祭」より前に
平城宮跡を訪れた時の様子をご覧下さい。
2008年4月↑
2009年4月↑↓
平城宮跡には元気だった頃のわんこも一緒にピクニックに行ったり↑
自転車に乗って草っぱらを駆け抜けたりしました。2009年10月↑↓
建設中だった大極殿の建築現場も見学に行ったし。2008年9月↓
この写真は建設中の大極殿の前から遠く朱雀門を遠望したもの。↑
1枚目や2枚目の写真を見てもわかるように
遷都1300年祭前の大極殿のまん前はまだ豊かな草地でした。
それがね、1300年祭が始まって、大極殿のまん前はこのように
柵で囲われ舗装された空間になりました。2010年4月撮影↓
実はこの時、私はとてもショックでした。
しかし遷都1300年祭が始まったばかりで、観光業に携わる立場もあって、この事には触れないで、 この時に書いたブログでは 最後の方に自然豊かな風景も載せて「いつもののんび〜りした平城宮跡もそのままでしたよ。」というようなレポを書いています。
一面タンポポの野原↑やレンゲ畑↓
大極殿をバックに白鷺くんの姿も↓
今回、大極殿前から朱雀門方面にかけて
近鉄電車の線路の手前までが「土色舗装」されることになり
すでに、9/25から工事が始まっているという状況です。
下の写真も大極殿の前から2010年4月に撮ったものですが、もっと広範囲(東京ドーム1個分)に、このような土色舗装にされるのです。
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国土交通省国営平城宮跡歴史公園のWebよると、大極殿広場南側の第一次朝堂院跡を整備して土色に塗装するそうで(詳細PDF)
このことを知ったのは、この方のツイッターで、工事が始まる2日前の9/23でした。記者発表は9/20だったそうです。
ツイッター上で飛交っている同意見のツイートを
私自身はReツイートするばかりでしたが
9/27に、ツイッター上で寮美千子さんが急遽呼びかけて
国交省の平城分室へ、平城宮跡 の「土色舗装」についての説明を求めに、早速抗議行動をおこされました。
その時の様子などは寮さんのサイトにまとめられています。
私は、自然を破壊して人工物で覆うことに嫌悪感を持つばかりでしたが
もっと広い視野で、自然破壊にとどまらず「文化破壊」にも通ずると指摘されています。(是非ご一読下さい。)
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平城遷都1300年の狂騒が終わって一年後、ようやく元の静けさを取り戻した平城宮跡にも自転車で行ってました。
2011年9月↑↓
一見、何もないような草原の土の下に 1300年前の日本の都の遺構が
その豊かな草原に守られて眠っている平城宮跡。
緑の中を吹き抜ける風のそよぎ、突き抜ける高く広い大空、
足元に咲く野の花の群れ、小鳥のさえずり、虫の声・・・。
この土の上を歩く度に、「奈良時代の役人たちも、この同じ土の上を急いで走っていたかも知れない」・・など想像するだけで楽しく、この場所をこのような形で保存する事に奔走された先人達に感謝せずにはいられなくなります。
どうか目先の利便性(それも訳の分からない理由ですぞ!)を求めて
この豊かな自然、文化遺産を破壊する事のないようお願いしたいです。
追記:
平城宮跡の葭原よしはらは奈良の燕の塒ねぐらになっているそうで
色々検索をしていましたら、平城宮跡の燕の塒入りを何度も観察に来られている方のブログに辿り着きました。→平城宮跡1・2・3・4・5・6・7・8・9
夕暮れとともに何万羽もの燕が奈良の町中から、このねぐらに帰ってきて、また夜明け前に塒立ちして行く様子などがわかりやすく書かれています。
今回の土色舗装でこの葭原が刈り取られてしまうとしたら
これはすごい暴挙です。このような無駄な工事はどうぞ止めて下さい。