<8/24〜8/26 10:00〜16:00>
ご存知のように多聞城は若草公民館のすぐそばの
若草中学校のある所に建っていました。
(写真手前右の建物が公民館、道路突き当たりの丘陵が中学校です)
近頃は、多聞城について興味を持たれる方も多くなって
多聞城跡を訪ねた後、そこには何も無いので 地元の公民館へ寄って
何か資料はないかと尋ねる人も多いために、若草公民館では
多聞城についての簡単なリーフレットを配布されています。
このリーフレットを監修されたのが
多聞城が建っていた若草中学校で教鞭を取った後、定年退職後に独力で多聞城や城主松永久秀について文献から勉強をされた北村雅昭先生。
今回の展示は 北村先生が多聞城について研究されてきたことを
すごくわかりやすいパネル展示で説明するようになっています。
展示を見に行って、多聞城主「松永久秀について」の展示コーナーの
「久秀と大和」というテーマに興味がそそられました。
久秀が大和に対して果たした役割を考えると
歴史的評価が見直されるのではないかという視点・・・。
やがて織田信長の検地によって、この「奈良町」が正式に認められ、大和の近世が始まるのですが、現在の奈良市の原型がまさにこの「奈良町」にあるので、久秀の大和に対して果たした役割というのはすごいものではと・・・そのようなことがパネル展示で記されていました。
そして、明日(8/25)13:00~15:00に、北村雅昭先生による
「松永久秀の魅力」についてのお話会もありますので
こういったお話が存分に聞けるのではないかと思っています。
「多聞城について」のコーナーでは
昨年12月に北村先生の講演会でうかがった内容が
こちらもわかりやすくパネルで展示されていて
公民館で作られた模型や推定図などもあって
小中高校生の方々にも興味が持てるような内容になっています。
夏休みのひとときに、地域の歴史にふれる機会
興味のある方は是非お訪ね下さい。
参考までにブログ内過去記事:
2011年12月 北村先生の「多聞城について」の講演会 →★
2010年8月 エッセイスト中島史子さんの講演会→★
中島さんの講演会「松永弾正の胸の内」では
茶人として高い美意識を持つ久秀が悪人なはずがないという視点から、奈良では悪名高い東大寺焼き討ちも、お寺を大事にしなかった三好三人衆が東大寺大仏殿を陣地にして回廊を火薬庫としていたからで、久秀自らが大仏殿を焼き討ちにしたのではないという内容で、お二人のお話からも、松永久秀に対する評価が随分見直されてきているようです。