近江八幡の美しい風景や町並などを写真でご覧下さい。
「八幡堀」水辺の景色が街にあるだけで気持ちがいいですね。
八幡堀は、豊臣秀次が八幡山のふもとに城下町を開いたとき
当時の交通幹線であった琵琶湖を往来する荷船を
すべて八幡に寄港させるために設けられた運河です。
かつて帆を立てた商船が往来し、商人らの熱気に満ちあふれていた
八幡堀も一時期は荒れ果て埋め立て計画まで進められていたそうです。
しかし、青年会議所を始めとする地元有志の運動により
現在では、町の代表的な観光名所として位置づけられるまでに・・・
(八幡堀の歴史についてはこちらを参照しました)
土蔵が建ち並ぶ八幡堀のお堀端の風景。
今回は写真を撮るだけでしたが
八幡堀に沿っての散策も次回にまた楽しみたいところです。
日牟禮八幡宮の鳥居越しに見えるのは白雲館。
明治10年に八幡東学校として建築された建物です。
現在は観光案内所として使われています。
かつての近江商人本宅の家々が立ち並ぶ風情ある新町通り。
こちらは「旧伴庄右衛門邸」
新町通りと交差するこの前の道が「朝鮮街道」と呼ばれる、朝鮮通信使が通った日朝友好の道です。朝鮮から江戸に向かう道中、八幡で一行は昼食をとられたのだそうです。
こちらは、かつての近江商人本宅の家々が立ち並んでいた新町通りに面した「旧西川邸」内部の様子です。
八幡の町を 日本で一番美しいところと評したヴォーリス。
今回、あまり予備知識も無くぶらりと歩いただけですが
それでも充分に近江八幡の町の魅力を感じることができました。
そしてそのような、戦国時代から続く歴史ある町並みの中にも違和感なく溶け込むヴォーリス建築に、より一層の魅力を感じた旅でした。
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急に思い立って出かけた近江八幡の町。
ずっと見たいと思っていたヴォーリス建築を訪ね歩くという目的の旅でしたが、見知らぬ情報を得るのにはネットが頼りになっていて、便利な反面、情報収集が直前でも大丈夫という安易な気持ちで訪れたことも、ちょっと反省材料になっています。
わずかな時間で検索したネット情報だけで町を見ないで
無駄になっても、自分の足で歩きまわった感覚で
その町を見ていきたいなと思ったのでした。