1月9日「嘉例かれいノ本宮登拝」当日。
ご神体山として普段入山できない御蓋山みかさやまにいよいよ登拝させていただける日がやってきました。
遠く鹿嶋の国から白鹿に乗ってこられた神様(武甕槌命たけみかづちのみこと)が御蓋山に降臨された日と伝えられている正月9日。
室町時代末期以降の神事日記には、毎年この日に数名の神職が御蓋山に登り、本宮神社前で百座・二百座の中臣祓を奏上されていたとあり、この神事は幕末まで続いていたそうです。
この「嘉例ノ本宮登拝」が平成20年に再興されて、一般の希望者も参加ができるようになり、私もいつか参加したいとずっと願っていました。
以前にブログにも書いているのですが、私は、たたなづく青垣が美しい奈良の風景が大好きで、奈良を囲む山々の連なりを見ているだけで気持ちが落ち着くのです。そして、そんな山々の中でも御蓋山はまた格別に大好きで、御蓋山が目に入っただけで、何故だか 心がふるふる愉しい気分になるのです。
だから、白鹿に乗って来られた鹿嶋の神様も上空からこのお山を見て一目で気に入られたのだろうなぁと、その気持ちがよくわかるーと勝手に親近感を持っているのですが(笑)。
前振りはさておき、登拝当日の様子をレポします。
当日は写真撮影OKでしたが、祓詞奏上の際や、ご本殿や社殿を正面から撮影するのだけは控えて下さいということで、神事に参加という身ながらもブロガーとしてカメラをポケットに、いつでもスタンバイできるように臨んだのでした。・・・が、先に白状しますと、低山ながらも、急勾配の道なき道を登って行くので、写真など取っている余裕もなく、そんな中でたまに撮った写真はブレブレで・・・。
あ、言い訳はさておき、当日のレポですね。
正午に集合して、白装束を羽織り、鉢巻きを締め 金剛杖を持ち、お祓いをしていただいて、出発です。
まず摂社の水谷神社にて大祓詞を奉唱、水谷橋から名前と生年月日を書いた形代を流します。
次に本社前で大祓詞を奉唱、若宮社にもお詣りして
本宮神社遥拝所の鳥居をくぐって、いよいよ入山です。
下山してから遥拝所を撮った写真ですが↓
この鳥居をくぐった時、憧れのお山にいよいよ足を入れるのだと思うと、もう感動の一言でした。
鳥居をくぐって、かなり急勾配の坂道を一列になって登って行きます。
息が上がるくらいきついのですが、何度も参加されている方々から「懺悔、懺悔さんげ、さんげ」「六根清浄ろっこんしょうじょう」の掛声が上がって、みんなで唱和しながら登って行きました。
山の中の木々は割と若木が多く、藤蔓や常緑樹も多かった印象です。
山頂の近くで、木々の合間からようやく景色が見える所がありました。
杖がなければ登れないくらいきつくて、時間にして30分弱程ですが本宮神社に到着した時は、正直ほっとしました。
本宮神社参拝。天下泰平・東日本大震災早期復興・五穀豊穣の祈願詞と
皆で大祓詞を3回奉唱し、神職の方による参列者全員の住所、名前、願い事の読み上げ。
その後、高野山や吉野の金峯山寺から参列の山伏姿の僧侶の方々による般若心経をまた皆で唱え
参加者も3人ずつ一組となって神前にお詣りさせて頂きます。
神様が降り立たれたところ「浮雲峰」に建つ社殿は、中世に入ってから建てられたもので、それ以前は、社前に見られる約10m四方を自然石で囲んだ磐境に神様をお迎えしてお祭りされていたということです。
お供え物やお神酒なども撤収して、下山コースは少し緩やかな南ルートで下って行きました。
滝坂の道に出て、禰宜道を春日大社の方に戻って行きます。
その後、山から下りて古くからのご祈祷所「桂昌殿」にて、春日大社に古くから伝わる千度祓を唱えます。
この日の参加者は67名。大祓詞をみんなで合わせて千度唱えるということで、水谷神社で1回・御本社で1回・本宮神社で3回唱えていますので
桂昌殿では10回、計15回X67名で千度以上の大祓詞を奉唱しました。
最初にいただいた「神拝詞」を片手に、正座を崩さず一生懸命唱和してお祈りをしました。・・・が、繰り返し繰り返し大祓詞を唱和するのに付いていくのが精一杯で、少々トランス状態になりながら、最後にニ礼二拍手一礼をした時には、ほっとしながらも、心は感謝の気持ちで満たされて・・・という何とも得難い体験をさせていただいたのでした。
最後は「神仙境」というところで直会。
1月7日のご祈祷始式参列者に饗される「中旬の献」というお膳。
饗膳きょうぜんといって神饌として神様がお召し上がりになった御供のお下がりを神様のご加護に預かりいただきます。
質素なように見えますが中々美味しいです。お雑煮もいただき
食事をしながら、神職の方がとても心親しくお酒もすすめて下さり、その場の雰囲気もとても和やかで、参加者の皆さんとも少し交流も出来、これぞ「直会なおらい」!と楽しい時間をご一緒させていただきました。
そしてお開きは一本締めでということで、こういう和やかで楽しい柏手を、きっと神様は喜んで聞いてらっしゃるのだろうなぁと思いました。
最後に、とても有り難い体験をさせて頂いたことに感謝です。
これでようやく私の新年が始まったような気がします。