第2回ティータイム茶論「かぎろひさんと歩く東大寺境内桜巡り」には
たくさんの方がご参加くださり、どうもありがとうございました。
今回は奈良倶楽部オリジナルマップを持って東大寺境内を歩く、という戸外の催しだったので、当日の天候や桜の咲き具合や大勢の方をご案内して歩くことの時間配分など、ちょっとドキドキしながらのイベントでした。(で、思わずタイトルに”無事終了♫”が入りました。)
昨日のブログにも書きましたが、境内散策コースのテーマを、もう咲き出すかもと少々フライング気味に「奈良八重桜ナラノヤエザクラ」に絞ってしまいました。
その桜自体がまだ咲いていなかったため、目に楽しい散策にならなかったことがちょっと申し訳なかったのですが、でも皆さんから「これで奈良八重桜の咲いている所がわかったので、来週に咲き出したら、もう一 度見に来ます」という感想をいただいてちょっとほっとしています。
知足院にて
散策出発前に「奈良八重桜の会」事務局長でもある、講師の豊永かずみさんに奈良八重桜についてのお話を伺いました。
歴史の中の文献に「奈良八重桜」の記載があるものを、一覧にまとめて下さっているのですが、平安時代の古今和歌集から始まって、随分たくさんの文献に記載があり、1000年以上もの長きにわたって愛され続けた桜なのだとわかります。この歴史の中で、戦乱の世になる安土桃山時代にだけは「奈良八重桜」を記載した文献が見当たらないということも
興味深いことでした。
ただ、こんなに愛されている桜なのに、吉田兼好には徒然草にて「貧相で興ざめな花」と言われていたり、志賀直哉も「貧弱な八重櫻」と評したことを知りました。(詳しくはかぎろひさんのブログに)・・・う〜ん、ひねくれ者の二人らしい表現だこと。
とにかく、4月の終わりにならないと咲かないことや、葉と一緒に開花すること、古木であっても大木にならないことなどの「奈良八重桜」の特徴から、このように「貧弱」「貧相」とかおっしゃったのでしょうね。(「控えめで清楚な桜」と表現してほしかったなぁ)
平安時代(1140年)の大江親通著「七大寺巡礼私記」には、この桜がいかに遅い時期に咲くかという表現が何カ所も出ていて、これも興味深かったです。
(例えば「此櫻一切櫻花散之後、始以開敷」や「ハルニヲクレテヒトリサクラム」や「誠遅櫻也」など格調高い文章で表現されています。)
このように、文献資料から大変わかりやすく解説して下さって、豊永さんの奈良八重桜への深い想いも伝わり、大変有意義な時間を頂きました。本当にありがとうございました。
では、東大寺散策の様子を少し写真でご覧下さい。
「おかっぱ桜」傍の奈良八重桜
鼓阪小学校前の御衣黄桜
植樹された奈良八重桜
プレートの文章は豊永さん
東塔跡では普賢桜が見頃
興福寺旧東円堂跡
当日のルートは、奈良倶楽部から
①知足院→②おかっぱ桜→③正倉院西塀沿い・鼓阪小学校前・転害門→④焼門→⑤戒壇院山門前→⑥大仏殿西回廊沿い→⑦奈良八重桜植樹のところ→⑧東塔跡→⑨みどりい池→⑩県庁駐車場・興福寺東円堂跡と歩きました。
また、早速アップの豊永さんのブログはこちらです。
講師の豊永さん、よく歩いた皆様、どうもお疲れさまでした!
そして楽しい時間をどうもありがとうございました。
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解散後に興福寺南円堂と北円堂の間に咲いている普賢桜を見ました。
ちょうど見頃で美しかったです!
そして画像アップを忘れそうになりましたが
「ティータイム茶論」での今回のお茶は
桜紅茶とpeace peace peaceさんの桜クッキーでした。
また和歌山からお越しのK様より苺の差し入れもあって、皆さんでいただきました。美味しかったですね♫ありがとうございました。