「奈良の旅人」エッセイ、本日は「文化創造アルカ」主宰の倉橋みどりさんが選んだ作品の発表です。(下段に倉橋さんの講評を掲載しています)
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「秋篠寺を訪ねて」 愛知県在住 O.N.様
夫と二人で奈良を旅して秋篠寺を訪ねたのは、九月の終わりの曇り空の午後でした。雨を包み込んだ雲に覆われたこの日の奈良は、しっとりとした衣を纏っているようでした。
近鉄奈良線の大和西大寺駅で降りて、雨が降っていないことを確かめた私たちは、秋篠寺まで歩くことにしました。歩くことで、その町が持っている雰囲気や匂いを感じ、新たな発見をするという楽しみがあります。楽しい気付きがあることを願いつつ、バス道路に沿って私達は歩き始めました。
西大寺駅から秋篠寺までの道程は歩きやすい道ではありません。北西に湾曲しているこの道は車の往来が多く、しかし歩道は狭い。でも、そこに点在している建物は興味深いものでした。駅からすぐのところにある酒屋はこの地方の地酒の銘柄を入口の開き戸に貼り出してあり、それを全部読みあげることは楽しかったし、何気なく佇んでいるケーキ屋の様子やマンションの在り方も趣深いものでした。そういった普通の町の延長線、奈良秋篠局という郵便局を北へ向かい、競輪場の標識からさらに北へ進むと、民家の中へ入っていきます。 秋篠の里へ私達は踏み込んだのでした。もちろん、現代の里です。茅葺屋根の家があるわけではありません。しかし、それぞれの建物が千年以上 前から存在していると言われたら、そうかと納得できる匂いをこの里は持っているのでした。そんなことを思っていると、細かい雨が降り出しました。現代の里に、この雨はよく合っています。傘をささずに歩き続けました。秋の初めの暖かい雨を受け止めながら歩いているうちに、お寺に着きました。雨に誘ってもらったのでした。
門をくぐり、本堂へと向かいました。雨脚が少し強くなりましたが、やはり傘を使わずに歩きました。境内のたくさんの木々は、秋になって、それぞれ枯れた緑色を呈し、二人を迎えてくれました。この寺は小さく美しく存在し、木々の間から何かしらの音が聞こえます。それは日本の古い楽曲であったり、西洋のバロックであったり、時にはジャズであったりします。本堂が現れると、それまで木々に覆われていた視野が開け、自然と中へ足を踏み入れていました。
秋篠寺の伎芸天は有名です。初めて観る私にも美しい仏像でした。それより、二人の一致した思いは、本尊の薬師如来の存在でした。この寺の御本尊は、若いお顔をしていらっしゃるのです。私が今まで観た日本のお寺の御本尊の多くは、どっしりと鎮座していらっしゃるのですが、秋篠寺の薬師如来は少年の面影を残し、爽やかなのです。側面から眺めたお顔も、左右それぞれ違う趣があり素敵です。少し距離をおいて向かい合うと、薄暗い本堂の中で光を放っているようなエネルギーを感じます。それは、受け取る人間に希望を与えるような光でした。この日は参拝客も少なく、本堂の中で夫婦二人になることも多々ありました。三十分ほど仏達と向かい合い、どちらからともなく本堂を後にしました。振り返って建物を見ると小さく佇み、このお寺の居住いを見るようでした。
帰りは畑の中を通り、駅へ向かうことにしました。途中、年配の女性に道を尋ねました。知らない土地で人と接することは楽しいものです。その女性は丁寧に教えてくださいました。この里に住まわれて幾度となく旅人に道を訊かれたのでしょう。たぶん、秋篠寺が建立された頃から、旅人はこの土地の人に尋ねながら、寺に詣でたのではないか…と思うと、「ふふっ」と笑いたくなりました。夫も同じことを思ったのでしょう。お互いに顔を見合わせて笑いました。
何でもない小さなことが、旅の記憶に残るものです。私にとっても、駅へ戻る途中の何ということのないこの出来事が、懐かしく思い出されます。暖かい記憶です。奈良には人の気持ちを暖かくさせる、そんな力があるのかもしれません。
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<<倉橋みどりさんの講評です>>
今回の応募作品は、どれを取っても奈良への深く熱い思いが感じられ、何度もうなづきながら、ときに唸りながら読ませていただきました。
倉橋みどり賞は、「秋篠寺を訪ねて」に差し上げたいと思います。
秋篠寺の伎芸天の美しさはもちろんのこと、お寺への行き帰りの様子もこまかく書いておられ、まるでご夫妻といっしょに歩いているような気分を味わうことができました。それにしても仲むつまじい様子が羨ましく、微笑ましく、お二人の奈良旅の続編をぜひ読ませていただきたくなりました。
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O.N.様、「倉橋みどり」賞おめでとうございます。
さて次回はいよいよ「奈良倶楽部大賞」の発表です。(続く)