「奈良の旅人」エッセイ、本日の発表は「奈良倶楽部大賞」受賞作品です。(下段に講評あり)
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「匂う」 東京都在住 F.A.様
奈良には空気に匂いがある。
近鉄奈良駅から地上への階段をあがるにつれ、視界には東の山並みが、そして鼻孔にはこの町独特の匂いが入ってくる。あぁまた奈良に来たんだなぁ、としみじみ感じる瞬間である。
「ここは町方(まちかた)に融けている」と書かれたのは司馬遼太郎氏で、それは東大寺境内の西辺についてであった。転害門以外にさしたる結界のないさまを そう表現されたのだが、よく考えてみれば、奈良公園一帯はすべて「融けている」のではなかろうか。なにせ名所のほとんどが地つづきで、あいだを隔てる塀や柵、門がほぼない。あっても役を果たしていない。どこもかしこもイケイケなのだ。東向商店街から数歩脇へそれるとそこはもう興福寺の境内で、目の前にはいきなり築数百年の伽藍が現れる。三条通はそのまま春日大社の参道へつづき、やがて春日山遊歩道となる。東大寺の南大門を二十四時間出入りできるのも、よそ者からすると驚異である。
ここでは、非日常と日常、自然と人間、旧と新、聖と俗……いろんなものが境なく融け合っているのだ。もっと言えば、車の走行を平然とさえぎり、人の面前で脱糞あそばす神鹿の存在など、その最たるものだろう。人間と動物のあわいさえも「融けている」。
そんな奈良では、私のような旅人もおのずと「融けて」、身も心もオープンにならざるをえない。ヨロイやフンドシはどこへやら、温泉につかっているかのように心底くつろぐ。開放感にひたりつつ深々と息をつくと、身内に満ちてくるのが、この町独特の空気、匂いだ。
枯芝の匂い。若草の匂い。樹木の匂い。日なたの匂い。土の匂い。鹿の体臭や糞臭。伽藍を支える木材の、檜や杉の匂い。古い建物にしみついた埃臭さや黴臭さ。たちのぼる線香の薫煙。……いろんなものが融け合い渾然一体となった空気は、どんなハーブともアロマオイルともちがう、えも言われぬ匂いで、私を陶然とさせるのである。
一度、初夏の雨上がりに奈良入りしたおり、蒸散作用もあったのか、この「奈良の匂い」が猛烈に立ちのぼっているのに出くわしたことがある。夜更けて奈良倶楽部のベッドに入ったあとも、窓から空気が流れ込み、一晩中まるでアロマテラピー状態だった。
書いているうちに、またぞろあの匂いが恋しくなってきた。常習性がつよいのかもしれない。私が奈良通いをやめられない所以である。
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F.A.様、奈良倶楽部大賞おめでとうございます。
選考委員の皆さんからの講評です。
<<多田みのりさん>>
私も奈良の匂いが大好き。様々なものが溶け合い醸し出す奈良の匂い。ガイドブックでは伝わらない奈良の魅力を的確に捉えていらっしゃって、「同志よ!」と思いました。この方とお酒飲んだら楽しそうです(笑)
<<生駒あさみさん>>
わかる!と思いながら読みました。一番共感しました。
嗅覚という目には見えない、でも確実にある奈良の匂いを文章で伝えてくれた作品です。
<<倉橋みどりさん>>
「匂う」は、選考委員全員が推した一篇です。奈良の魅力を「匂い」に託したところにオリジナリティが感じられました。最後の「常習性がつよいのかもしれない」という一文には、ちょっと照れているような筆者の表情が見えてくるようで、好感を持ちました。
<<私も少し感想を…>>
「匂い」で奈良の魅力を表現されたこともさることながら、司馬遼太郎の「 ここは町方に融けている」という言葉を引用して、奈良の町の境界のない大らかさや空気感を見事に言い表されたところに感心しました。本当に、確かにそうなんです。そしてその大らかな魅力を漠然と感じてはいるのですが、「いろんなものが境なく融け合っている」と的確に言われて気づいたところもあります。お客樣方から、「奈良はほっこりして気持ちが寛ぐ」とよく言われますが、こういう面こそ奈良の魅力なのでしょうね。ありがとうございました。
ここでは4作品のみの発表でしたが、ご応募いただいた皆様からの力作は、近日中に別ブログで発表させていただきます!(乞うご期待!)