ページ

2015年3月14日土曜日

私のお水取りとご宿泊御礼*

今年もまもなくお水取りが終わろうとしています。お客様方は二月堂にお出かけで 満室の奈良倶楽部も今はひっそり静かな時間です。

それにしても、今年の修二会は雨の日が多かったですね。
そして真冬以上に冷え込みの厳しい雪の舞う日もありました。
写真はある日の下堂風景と、その後に湯屋までおりてきて見上げた月と籠松明。 この日も一日よく降ったのですが、日付が変わった下堂の頃には、月が雲間から現れて神々しいばかりに澄み渡っていたのでした。

ある日、ご一緒したお客様が新聞記者さんから質問を受けられる場面がありました。深夜のインタビューは「こんな遅い時間まで二月堂に通っているのは何故ですか?あなたにとって、お水取りの魅力とは何ですか?」というような内容でした。

何年もかけて何日も通い、修二会にのめり込んでしまった人達。
修二会の何が人々を捕らえて放さないのだろう。

記者さんの質問に答えるお客様の横で、仕事の合間を縫ってでも二月堂の磁力に惹き付けられてここに来るのはどうしてかな・・・と、自分自身を振り返ってみたのです。

一つは、1264年の間、一度も途切れることなく続いている「不退の行法」というものの凄さに。そのずっと続いている歴史の流れの中で、その時々の人達が観音様に祈りを捧げてこられた、その一コマに自分も今いるのだということ。途切れない時間の中のほんのいっときに、私も祈りを捧げる人としてそこにいるのだと思うと、命のある限り、ずっとずっと参拝していきたいと思うのです。
また、一つは、修二会に参籠される練行衆たちの静かな立ち居振る舞い・・・佐藤道子先生の言葉を借りると「この一団を包む『慎ましやかな覚悟』というべき雰囲気」・・・この美しい気配や佇まいを、この時ばかりは思う存分に味わいたいという気持ち。
そして、修二会にハマった誰もが脳内リフレインするお声明の素晴らしさ。これは毎年、毎日、行法ごとによっても印象が違うので、できるだけ毎日通いたいと思うところの一つはここにあるとも思うのです。

何はともあれ、1264回めの修二会も明日には満行を迎えます。
最後になりましたが、 今年も修二会の期間中たくさんの方に宿泊していただき、どうもありがとうございました。
仕事をしている間は、そうそう毎日二月堂に通うことは叶いませんが、奈良倶楽部にいながら、修二会を通してお客樣方とたくさんの感動を共有できましたこと、本当にありがとうございました。