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2015年4月24日金曜日

興福寺境内に咲くナラノヤエザクラ

初夏を感じさせるような眩しい陽射しの中、人々の関心が桜から離れているように思いながらも、今日も興福寺境内に咲いているナラノヤエザクラ巡りを楽しんできました。(撮影4/23)
三重塔の手前に1本。アップ↑と全体↓



北円堂の手前(三重塔と北円堂を結ぶ通路沿い)に2本。↑


南円堂と北円堂の間に2本。↑↓
ここには大きく枝を広げた普賢象桜があって、その中にまぎれこんだナラノヤエザクラは全然目立ちません。

普賢象(満開の頃は白く清楚な花ですが、散り際は濃いピンクでぼってり)とナラノヤエザクラのコラボ。↓



五重塔と南大門跡地の間に2本。↑


南大門跡地の三条通りに面した方に3本。↑↓


本坊前の会津八一の歌碑の横に2本。↓

南大門の所の計5本と本坊前の2本は、開花が遅く、おそらく「知足院ナラノヤエザクラ」と同じ純系種ではないかと推測しました。


興福寺境内ではないのですが
その東側の奈良公園登大路園地には10数本。↑↓


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そして最後に訪れたのは・・・
興福寺と言えば東円堂のナラノヤエザクラ!東円堂があったと伝わる跡地には、故事にちなんで記念のナラノヤエザクラが植えられています。

「いにしえの 奈良の都の八重桜 けふ九重に にほひぬるかな」
平安時代、一条天皇の中宮彰子は、興福寺東円堂の前にある「奈良ノ都ノ八重ノ桜」の評判をお聞きになって、この桜を欲しいと別当に所望される。桜の木を掘り起こし、運びだそうとしたその時、興福寺の僧侶たちが「たとえ皇后の望みであってもこれほどの名桜を他に移してはならない」とホラ貝を吹き鳴らし、荷車を押しとどめた。ことの次第をお聞きになった皇后は「奈良法師は無粋だと思っていたけれど、桜を愛でる心は深いのね」と感じ入られる。そして、伊賀国餘野を花垣の庄と名づけて花の盛りの7日間、花守を遣わすことになったというエピソード。
翌年、興福寺から奈良八重桜が献上された時に伊勢大輔 いせのたいふが詠んだ「いにしえの 奈良の都の八重桜 けふ九重に にほひぬるかな」の「奈良の都の八重桜」こそが「ナラノヤエザクラ」です。
興福寺東円堂があったところには、知足院のナラノヤエザクラを接ぎ木したものが記念に植えられています。↑上の写真と下の写真↓


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桜から藤の花へ・・・
奈良倶楽部のお客様方に「ナラノヤエザクラ」のお話をしていても、もう一つ関心を持ってもらえないことが多く、藤の花の開花状況に気持ちが向われているような今日この頃。
興福寺南円堂前の藤棚では
こんな感じに開花していました。

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興福寺では明日4/25(土)から北円堂の特別開扉も始まります。
拝観の折には清楚なナラノヤエザクラもどうぞお楽しみくださいませ。