15日から19日まで、事前に抽選で選ばれた1000人を対象に実施されたのですが、私は運がなくて抽選漏れ。(ハズレは毎度のことです。)
でも「チーム・祈りの回廊巡ラー」(またまた勝手にこんなチームを結成^^)で応募したので 運良く当選の(こちらもいつものことで、羨ましいかぎり) 相方さんと一緒に参加しました。
大和三門跡の一つに数えられる円照寺は
江戸時代初期(1641年)に、後水尾天皇の皇女 文智女王が出家して営んだ京都の草庵が始まりで、その後しばらくして(1669年)現在の場所に移されました。
余談ですが、三島由紀夫の小説「豊饒の海」に登場する「月修寺」のモデルとされています。
特別拝観参加者は各回50名。
県庁に集合して貸し切りバスで現地に向かいました。
見学できる庭園は2箇所で、2グループに分かれて
如意輪観音坐像を安置する本堂・円通殿の庭園と
奥御殿の庭園を順に拝観します。
周りの山々を借景とした枯山水で廻遊式として造園されました。
春は桜・椿・藤・さつき。夏は百日紅。秋は紅葉。冬は山茶花。
あいにく訪れた時分は、ほとんど花が咲いていない時期で
枯山水に「侘び」「寂び」という形容詞が似合う様子でした。
こちらは樹齢200年の「熊谷椿」↑
春は桜・椿・藤・さつき。夏は百日紅。秋は紅葉。冬は山茶花。
あいにく訪れた時分は、ほとんど花が咲いていない時期で
枯山水に「侘び」「寂び」という形容詞が似合う様子でした。
こちらは樹齢200年の「熊谷椿」↑
10cmほどの大輪の赤い花を咲かすそうです。↓
上の写真の手前の建物が「奥御殿」。1849~1851年の建築で
現在の円照寺の諸建築の中心をなすものです。
手前の八畳3室はお庭から見学可能で、「御座の間」などは
いかにも高貴なお方がいらっしゃる・・という雰囲気でした。
調度品や室礼なども女性らしいもので整えられていました。
奥御殿の右側の建物が「葉帰庵」という庵室で、安政の大地震で
倒壊後、明治になって現在のところに新築されたものです。
二つの建造物は手入れが行き届いているせいか
100年から150年も前の建立とは思えないのでした。
奥御殿の庭園、このサツキが花盛りの頃はさぞかし華やかなのでしょうね・・・。
奥御殿の向こう、塀越しに見える茅葺きの建物が本堂の円通殿。
次にこちら、本堂の庭園を鑑賞しました。
本堂前には白砂の庭園が広がり中央には舟形の平石が置かれています。
これは「弥陀の来迎石」といって開山の宮様がご生母の冥福を祈願して
置かれたものです。この石の前方には東西に広がる池を配し
池泉鑑賞式広庭として造園されました。
池の手前(本堂側)に東から阿弥陀堂に向かって25の石があり
これは二十五菩薩聖衆来迎を表しているということです。
庭の奥から阿弥陀堂(左手)を見たところ↓
阿弥陀堂の障子にも菊の御紋。これは「弥陀の来迎石」といって開山の宮様がご生母の冥福を祈願して
置かれたものです。この石の前方には東西に広がる池を配し
池泉鑑賞式広庭として造園されました。
池の手前(本堂側)に東から阿弥陀堂に向かって25の石があり
これは二十五菩薩聖衆来迎を表しているということです。
庭の奥から阿弥陀堂(左手)を見たところ↓
こちらのお庭には山茶花が咲いていました。
門跡寺らしい品格と静謐。
そのような印象を受けた庭園を鑑賞する機会に恵まれて感謝です。
この日の最終組で見学しましたので、帰りの頃には
晩秋の陽も傾いて、この山里を美しく彩り輝かせていました。